『シンゴの旅ゆけば~!(117)シャフ・シャウエンで歌舞伎町を見る②』

憧れの町ってのがあるとしたら…当時の俺はタンジェだったのよ。バンコクの古本屋で見つけた日本語訳の『シェルタリング・スカイ』を読んで、ポール・ボウルズは、なんてカッコいいジジイなんだろうと思ったから、彼の本をたくさん読んだのよね。
『雨は降るがままにせよ』とかタイトルだけでもカッコいいでしょ。

そのポール・ボウルズが奥さんのジェイン・ボウルズと一緒に暮らしていたのがタンジェなのよね。ウィリアム・バロウズが『裸のランチ』を書いたのもタンジェだし、今になって思うと若いなぁって感じではあるのだけど、そういう何だか退廃的なものに20代の俺は結構惹かれていたのよ。

だいたい、当時のバックパッカーの合言葉と言ったら「Don’t trust over 30」だったからね。30歳過ぎた奴なんて信じるなってことだけど。だからまぁ、きっと30歳までには死ぬんだろうなと何となく思っていたのよ。旅先で何度か死にかけたから、あ、あとちょっとで死ぬなって感じは分かっていたしね。まぁ、結局そうはならなかった訳だけど。

死に近づけば近づくほど、全てはスローモーションになっていく。これは経験しないと分からないと思うのだけど、旅で学んだ事実の一つなのよ。だから、これはヤバいなぁと感じても、スローモーションになっていなければ、まだまだ死なないということなのよね。

いかにもアラビアって感じの路地をうろうろ歩き回って、ポール・ボウルズが毎日来ていたというホテルを探した。そこのカフェでお茶を飲んでいたらしい。

ホテル・エル・ミンザは白壁の高級ホテルで、小汚い姿の俺には敷居が高かったのだけど、せっかくだからカフェに入ってみた。地下にあるパティオには、真っ白いテーブルクロスがかかった丸テーブルが並んでいて、椅子はコバルトブルーだった。
瀟洒ってのは、こういうのを言うんだろうなって思ったのよね。

いつかお金ができたら泊まりたいと思ったけど、まだそれは実現していない。