憧れの町ってのがあるとしたら…当時の俺はタンジェだったのよ。バンコクの古本屋で見つけた
日本語訳の『シェルタリング・スカイ』を読んで、ポール・ボウルズは、なんてカッコいいジジイ
なんだろうと思ったから、彼の本をたくさん読んだのよね。
『雨は降るがままにせよ』とかタイトルだけでもカッコいいでしょ。
そのポール・ボウルズが奥さんのジェイン・ボウルズと一緒に暮らしていたのがタンジェなのよね。
ウィリアム・バロウズが『裸のランチ』を書いたのもタンジェだし、今になって思うと若いなぁっ
て感じではあるのだけど、そういう何だか退廃的なものに20代の俺は結構惹かれていたのよ。
だいたい、当時のバックパッカーの合言葉と言ったら「Don’t trust over 30」だったからね。
30歳過ぎた奴なんて信じるなってことだけど。だからまぁ、きっと30歳までには死ぬんだろうな
と何となく思っていたのよ。旅先で何度か死にかけたから、あ、あとちょっとで死ぬなって感じは
分かっていたしね。まぁ、結局そうはならなかった訳だけど。
死に近づけば近づくほど、全てはスローモーションになっていく。これは経験しないと分からないと
思うのだけど、旅で学んだ事実の一つなのよ。だから、これはヤバいなぁと感じても、スロー
モーションになっていなければ、まだまだ死なないということなのよね。
いかにもアラビアって感じの路地をうろうろ歩き回って、ポール・ボウルズが毎日来ていたという
ホテルを探した。そこのカフェでお茶を飲んでいたらしい。
ホテル・エル・ミンザは白壁の高級ホテルで、小汚い姿の俺には敷居が高かったのだけど、せっかく
だからカフェに入ってみた。地下にあるパティオには、真っ白いテーブルクロスがかかった丸テーブル
が並んでいて、椅子はコバルトブルーだった。
瀟洒ってのは、こういうのを言うんだろうなって思ったのよね。
いつかお金ができたら泊まりたいと思ったけど、まだそれは実現していない。