『フクロウは見かけと違う②』

博物学者であり、生物学者であり、民俗学者でもある南方熊楠ですけど、正直な話…存在は知っていたのですけど、彼の書いたものを読んだことはなかったのですね。かなりの奇人だったとか、猫が好きでどの猫にも同じ名前をつけて可愛がっていたとか、周辺のエピソードは誰かから聞いて知っていたのですけどね。

宗教学者の中沢新一が南方熊楠についての講演をした内容をまとめたものが『熊楠の星の時間』なのですけど、その中に熊楠は今で言うところのエコロジー運動の先駆けだったというエピソードがあるのです。神社合祀問題に反対していたそうなのですけど、その理由というのがエコロジーの問題と結びついていくのです。

合祀というのは、複数ある神社を一つにまとめてしまって1箇所で祀るという意味なのですけど、明治時代に当時の政府の主導で、そのようなことが行われたそうなのです。そうすると、なくなってしまった神社が置かれていた森林(神社を囲む杜(もり)のことですね)は伐採され、場合によっては売却されてしまう。つまり自然が失われてしまう訳です。熊楠はそのことに強く反対して、政治的な運動をしたのですね。結果的に柳田國男の助力もあって、当時の貴族院で「神社合祀無益」と決議されたそうですから、熊楠の運動は成功したことになります。

勉強が足らないなぁとつくづく思ったのですけどね、廃仏毀釈が行われるまで、神社の神主が僧形で般若心教をあげるとか、反対に僧が大祓祝詞をあげることもあったそうですし、神社で護摩がたかれることさえ、言ってみたらあたりまえの状況だったのだそうです。

本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)が信じられていたので、仏や菩薩が衆生を救済するために、神の姿を借りてこの世に現れている。つまり、日本の神さまというのは、元を辿れば仏や菩薩だと考えられていたのがあたりまえですから、それを引き離すことを明治政府が命じた訳です。

神社から仏像が持ち出され、あるいは破壊されてしまったそうですけど、政治的には神道を西欧列強のキリスト教のような存在に作り変えて、富国強兵に利用することが目的だったそうです。

神社の神さまはずっと変わらず、その地で祀られていたという、あたりまえに思い込んでいたことは、どうやら違ったようなのです。