『時間の終わりまで④』

「ほとんどの人は、日常を越える高みに自分を引き上げたいという思いと、心中ひそかに向き合っている。そして多くの人は、文明を盾として、自分が消滅しても世界は何ごともなかったかのように進展するという事実を直視せずにすませている。

われわれは自分に制御できることにエネルギーを注ぎ込み、コミュニティーを建設し、さまざまな活動に参加する。周囲の人たちを大切にし、楽しい時は笑い、大切なものを見つける。心を慰め、失ったものを嘆き、人を愛する。

喜ばしいことがあれば祝い、神聖とされるものを祀り、自分の行いを悔いることもある。そしてまた、成し遂げられた仕事に胸を躍らせることもある…それは自分の仕事のこともあれば、尊敬する人物や偶像視する人たちの仕事のこともあるだろう」

ブライアン・グリーンはこう綴ります。

ビッグバンから、ビッグクランチまで…想像もできないくらい長い長い時間の粒子のふるまいについて語っていた『時間の終わりまで』という本は、人間という種について、そして私たち一人一人の存在について語ることで終わっていきます。

「これまでたどってきた科学の旅が強く示唆するように、宇宙は、生命と心に活躍の場を提供するために存在しているのではない。生命と心が、宇宙にたまたま生じただけなのだ。そして、生命と心は、つかの間存在して消えていくだろう」

さすがに物理学者ですからね。100パーセント人類は滅亡するという未来が来ることは認めざるを得ない。本質的には、私たちがしていることも、価値を置いていることにも、意味はない。それが答えであることも分かっている。では意味はどこにあるのか?

おそらく、この問いは彼自身に向けられた問いでもあるのだと思います。

本の前半を、宇宙の終焉について丁寧に語ることに費やすのですけど、後半からは…なぜ人類は物語を好むのか、宗教を作ったのか、神話は、音楽は、芸術はと、人類の創り上げてきた営為について語る。

言ってみたら、宇宙の歴史の中では、つかの間の時間に過ぎない人類の文化の歴史を語りはじめるのです。