知人に、インドのコルカタでボランティアをしていた方がいます。マザー・テレサのところで働いていたのですけど、マザーはけっこう強い性格の方だったそうです。
そのマザー・テレサの言葉が残っています。
人はしばしば不合理で、非論理的で、自己中心的です。
それでも許しなさい。
人にやさしくすると、人はあなたに何か隠された動機があるはずだ、と非難するかもしれません。
それでも人にやさしくしなさい。
成功をすると、不実な友と、本当の敵を得てしまうことでしょう。
それでも成功しなさい。
正直で誠実であれば、人はあなたをだますかもしれません。
それでも正直に誠実でいなさい。
歳月を費やして作り上げたものが、一晩で壊されてしまうことになるかもしれません。
それでも作り続けなさい。
心を穏やかにし幸福を見つけると、妬まれるかもしれません。
それでも幸福でいなさい。
今日善い行いをしても、次の日には忘れられるでしょう。
それでも善を行い続けなさい。
持っている一番いいものを分け与えても、決して十分ではないでしょう。
それでも一番いいものを分け与えなさい。
ちょっといい話のように読んでしまいそうになりますけど、私は違う理由でこの言葉が好きなのです。
あるマンガなのですけど、登場人物の一人が亡くなる直前の夢に、彼が警官だった時の相棒が出てきます。
一見無駄にしか思えないような地道な捜査を続ける相棒に、あんたはどう思ってそんな苦労を背負いこむのだと、彼は尋ねるのですね。
そうだな…わたしは「結果」だけを求めてはいない。「結果」だけを求めていると、人は近道をしたがるものだ…近道した時、真実を見失うかもしれない。やる気も次第に失せていく。大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている。向かおうとする意志さえあれば、たとえ今回は犯人が逃げたとしても、いつかはたどり着くだろう? 向かっているわけだからな…違うかい?
結果については、考慮しない。その結果に向かっていく意志の方が大事だと、この警官は言っている。そして、自分に正直であれと言っている。たとえ、誰がどう思おうとも。
マザー・テレサが言いたかったことも、同じなのではないかと思うのです。
そして、『真実に向かおうとする意思』を持つためには、自分を信じてないと無理なのです。
マザーが言いたいことは、きっと「あなたを、そしてあなたのしていることを信じなさい」と言うこと。
マザー・テレサが強かったのは、自分を信じるためには強さが必要だからでしょうね。