日本でも心理学の本としては異例とも言えるベストセラーになった『平気でうそをつく人たち』ですけど、著者のM・スコット・ペックによれば、結局のところ「邪悪」とは「愛」を持っていない人間のことなのです。
それはまぁ、統合失調症を発症した夫を施設に入れるというのは、他に選択肢がなかったのでしょう。だけど、再婚した男性と結婚式を挙げるから息子にクリスマス休暇に帰ってくるなと、それも帰省当日に電話してくる母親というのは、控えめに言っても利己的であるでしょう。映画の後半に登場する母親の論理というのは、本当にやれやれと考えさせられるものでした。
『平気でうそをつく人たち』に登場する「邪悪な親」のエピソードの母親と同じことを彼女は言うのです。
「愛」を持っているのにも関わらず、辛い人生経験から「愛」を表現することに戸惑ってしまっている教師。父親と引き離された後、渇望していた「愛」を疑似家族のような3人のクリスマスで見つける生徒。ベトナム戦争でかけがえのない「愛」の対象だった息子を亡くし、疑似家族との旅で再生していく女性コック。
馴れ合いでもないし、深く相手に入り込むこともない。だけど、相手を認めているし、尊重している。そして何よりも相手を暖かく見守ろうとしている。
軍の刑務所に護送する兵士2人と、軍規を犯した若者。旅の中でいつの間にか疑似家族のような奇妙な3人組が出来上がっていく。それがハル・アシュビー監督の『さらば冬のかもめ』なのですけど、その映画を下敷きにした『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』でも同じことが起こるのです。
それはある種の救済という形でクリスマス・プレゼントのように3人に与えられる。
私が生まれ育った国は、色々と問題はあるとは思いますけど(まぁ、問題のない国なんてないでしょうしね)こういう映画を見ると、アメリカってまだまだ捨てたものじゃないなと思うのです。