坊主頭になってしまうと、次は残っている金髪のカスのような部分をインクで塗った。
黒い髪が結構生えてきていたから、大して塗るような必要もなくて、金髪野郎はあっという間に坊主頭野郎になった。
裏口というか、このホテルの土台のところに降りられる扉があるからな、そこから入り口と反対方向に進んで、川沿いに山の方まで行けよ。
なんでもいいからポカラから南へ行くバスを道で止めて乗り込む。
インド国境までは、うまくいけば明日には着くよ。
オヤジはそう言って、まぁ気をつけてなと坊主頭を撫でた。
ありがとうございましたと、か細い声で言って男は出ていった。
その後も俺はポカラにしばらくいたのだけど、捕まったとか、戻ってきたとかって話は聞かなかったから、きっとうまくインド国境を越えられたのだと思う。
ジャーマンベーカリーという、別にチェーン店ではないのだろうけど、ヒマラヤ登山隊のドイツ人からパンの作り方を習ったという触れ込みのパン屋がポカラには何軒かあって、これが本当に美味しいのよ。
ドイツの旅行者に言わせると、その話は本当だろうということだった。
自分が子供時代に食べたような懐かしい味のパンもあるんだよって言っていたから。
谷にバスごと落ちてしまった友人を待っていたスイス人とは、そのベーカリーに併設されたカフェで何度か会った。
最後に会った時は、俺たちもカトマンズに行く。
たぶん友達はスイスに移送されることになると思うと話してくれた。
それにしてもシンゴ、おまえは悪運の持ち主だなとも言われたけど。
季節外れではあったから、大して観光客もいない、静かなポカラの町で、日がな一日湖を見ながらボーッとしていた。
今になって思うのだけど、あの頃の俺って、なんであんなにボーッとしていたんだろうと思う。
本もたくさん読んだけど、とにかくボーッとしている時間ばっかりだった。
結果的に…バイク事故なんて嘘っぱちで、ネパールの兄ちゃんも生きている。
バイクも無傷、ハメられそうになった日本人は無事にインドに逃げ、スイス人はスイスでケガが治って元気に暮らしていて、そろそろ次の旅に出ようとか考え始めているところだったりする。
日本語の話せるオヤジのホテルは繁盛して、今ではすっかりオヤジも元気になっている。
そんなハッピーエンドだったらいいけどね。
確かめようはないけれど。