『シンゴの旅ゆけば~!(67)ダラムサーラーのシャワー!』

最近、料理をすることが多くて…また変なところが凝り性なものだから、パスタの乳化を必死に練習したり、中華鍋でチャーハンを作るのにハマったり、一時はダンボールで作ったピザ窯でマルゲリータを作っちゃ、友達にふるまっていた。その窯は富士吉田のキャンプ場で炎上してしまったけどね。

まさか自分が料理にハマるとは思ってもみなかったのだけど、料理をしているとフロー状態というのか、夢中になりすぎて何も考えていない状態になってしまう。まぁ、言ってみたら瞑想みたいなものよね。同時進行で複数のことを考えないで、手が動くままにやるってのが好きなのよ。結果的に考えるよりうまくいくしね。旅先でも時々料理していたけど、あの頃はまだそんな感覚はなかったな。

まぁ、キャンプみたいな状況だと、店なんかない訳だから作らざるを得ないのだけど、イスラエルで韓国人のバックパッカーと日本人バックパッカーの料理対決とか、調理器具が使えるところじゃよく作っていたのよね。ハワイ島でも作ったし、ニウエ島ではヤシガニを茹でた。

でもなぁ、料理についちゃダラムサーラーのホテルが忘れられないのよね。

確か3月の頭だったと思うのだけど、チベット人の正月にダライ・ラマさんが仏教の初歩講座をしてくれると聞いて、乗合ジープでダラムサーラーって町までやってきたのよ。

そこはチベット亡命政府の置かれているところで、標高1457メートルの高地だから、着くなりいきなり高山病みたいになって、頭痛がしてきた。謎の丸薬みたいなのをドライバーにもらって飲んだら治ったのだけどね。インドじゃ赤痢を一発で治す薬とか、謎の薬がいっぱいあります。

それで、ダライ・ラマさんに会いたいってことで、全世界から人が集まってきてるわけだから、言ってみたらハイシーズンなのよ。だからホテルはどこもない。今みたいにネットで事前に予約できるなんてシステムもないしね。それで、すみません、部屋ないかなってあちこち聞いて歩くのだけど、なかなかないのよね。

ようやく見つけたボロボロのビルみたいなホテルにチェックインして、さすがにハイシーズンだから、この部屋で、この値段かよってくらい高かったけど、外で寝るわけにもいかず…そのホテルに泊まった。

ホテルのオーナーの兄弟がいい奴で、シンゴ、晩ご飯一緒に食べようと、よく声をかけてくれた。そもそもダラムサーラーは水が少ないところなのに、その時は観光客が押し寄せて飲み水にも困るような始末になっていたのね。だから、洗濯もできないし、風呂もないのよ。雨が降ると、シンゴ、屋上でシャワーだって…兄弟が石けんを持って俺の部屋のドアを叩く。

しかしまぁ、ブランケットにくるまらないと凍えるような気温だったから、外で素っ裸になってシャワー(と言っても雨水だけどね)は辛かったけど、あれは楽しかったな。

ダラムサーラーの近くまではバスが出ていて(そこからは乗合ジープに乗り換える)ニューデリーから乗ったのだけど、確か昼間はTシャツで十分だったのよ。ちょっと冷え込んできたらパーカーでも着ておけば平気だった。それでダラムサーラーに着いてみたら凍えるくらい寒かったのよね。何か買わなきゃ死ぬと思って、いろいろ見て回ったのだけど、ヤクという動物の毛で作ったブランケットが一番安くて温かかったのよ。それで、エンジとパープルが混じったような毛布を買って、ずっとそれにくるまって歩いていた。夜はそのまま寝る。どうせ服を着替えても洗濯できないから、ダラムサーラーの前半は、ずっとそんな姿だった。

雨はけっこう定期的に降ったから、その度に兄弟が、シャワータイムだぜとドアを叩いてやってきて、ゲラゲラ笑いながら雨水で身体を洗った。あんまりひどい状況だと、人間って自然と笑い出すものなのよ。でも、通り雨みたいな感じだから洗濯までは相変わらずできない。

ところが、ダライ・ラマさんの講座が終わって、観光客が減り始めると、乗合ジープ乗り場のそばに洗濯屋がオープンしたのよ。兄弟が洗濯物を抱えて、俺のドアをノックした。シンゴ、俺たち臭いから着替えようぜ。洗濯屋に持って行こうと言ってくれた。

それで、たぶん10日ぶりくらいに服を着替え(でも、ヤクの毛布はそのまま巻いていた)すっきりしたのだけど、3日くらいでちゃんとパリッと乾いた洗濯物が戻ってきたのには驚いた。なんだか日本の梅雨のような天候が続いていたから、いったいどうやって乾かしたのか謎だった。乾燥機なんてものがあるようには思えないしね。

それでまぁ、そのホテルで料理を作ることになるのだけど、その話は次回に続く。