『シンゴの旅ゆけば~!(66)世界一の親日国その2』

パラオにはいろんな国がやってきたんだ。最初はスペイン、次はドイツ、そして日本人が大勢パラオにやってきた。

その頃のパラオには水道もないし、電気もなかった。道路も舗装されていなかった。橋もなかったし、学校も病院もなかった。全部日本人が作ったんだ。

後から調べてみたのだけど、太平洋戦争の頃のパラオの住民は、4人に3人が日本人だったそうだ。

パラオ人は日本人になったんだ。そしてアメリカと戦争になった。アメリカが攻めてくる直前に、パラオ人は集められて、遠くの島にやられることになった。だって俺たちは日本人になったのだから、一緒にアメリカと戦うと言ったのだけど、軍人たちは聞き入れなかった。おまえたちのような土人に銃が持てるか?戦争の邪魔になると言われたんだ。

パラオ人は悲しかった。あんなに仲良くしてくれて、同じ日本人同士だと言ってくれた連中が、いざとなったら、土人と自分たちのことを呼ぶ。それで仕方なく船に乗って島に運ばれて行った。

俺はこの話をコロールの居酒屋で聞いていた。経営は日本人で、刺身とか日本人が好きそうな物がたくさんある。あそこにいる女性な…彼女を雇ったら、毎日違う男が迎えにくるんだ。モテるんだなと思っていたら、どうも違うらしい。居酒屋を経営している男が言った。

パラオって一妻多夫なんだよ。だから、彼女を迎えに来ていたのは、夫たちだったんだ。

オヤジは話を続ける。

でもな、島からコロールに引き上げていく船の兵隊たちが、パラオ人の方に手を振っているのが見えた。みんな泣いている。パラオ人だって、去っていく兵隊の中に友達の顔を見つけて手を振り返した。そこで俺たちはやっと気づいたんだよ。ああ、俺たちはバカだったと思った。

日本人は、俺たちを逃がしてくれたんだ。自分たちが死ぬことが、きっと分かっていたんだろうな。だから俺たちだけ離島に避難させたんだよ。そのことにやっと気づいた。

ほとんどの日本人は死んでしまった。パラオ人はコロールに戻って、彼らを埋葬した。だから、俺たちは日本人に恩があるんだよ。

俺は、まぁだいたい涙もろいのだけど、その話を聞きながら泣いてしまっていた。

90年代にアメリカから独立した時に、ここだけの話だけど…日本の県にしてほしいって働きかけたんだよ。日本からは断られたけどね。

マジかよ。それが実現していたら48番目の都道府県になっていたのかもしれない。まぁ、ないだろうけど…。沖縄県の次がパラオ県。楽しそうではあるけどね。

パラオの海岸に立って、昔ここが日本だった時のことを考えてみる。

アウシュビッツに行った時とか、ガザ地区とかね、ひどいことがあった(ガザ地区は今でも続いているけど)土地というのは、なんだか怖い感じがする。でも、太陽が強くて、強い風が吹いているような土地だと、そういう怖い感じの何かというのも、割と早めに消えてしまうように感じるのよ。

カンボジアのキリング・フィールドなんて、きっとヤバいぞと覚悟してから行ったのだけど、あっけらかんとした風が吹いていた。よっぽど収容所の跡の方が生々しくて気持ち悪くなった。きっと室内だったからだな。

パラオの海岸は普通に気持ちのいい風が吹いていた。でも、ここで亡くなった日本人がたくさんいるんだよね。ごくろうさまでしたって、頭を下げた。墓参りをしているような気持ちになった。