『シンゴの旅ゆけば~!(62)バドワイザーのふるさと その2』

何日かする間に、マリアばあさんの考えていることが分かるようになった。それから彼女の習慣も。これはまぁ、褒められたもんじゃないけど…。

マリアばあさんは、俺と仲良くしたいらしい。同居人としては最高だろうと自分でも思っていたからね。風呂掃除もしたし、夜は騒がずに本を読んでいるし、朝はベッドをちゃんと整えていたから。だけど言葉はお互いに分からない。そうなると、仲良くするにはこれしかないと彼女が考えたのは、一緒にテレビを見ることだった。

ソファーに座って、彼女の好きなドラマを見るのだけど、何が起こっているのかよく分からない。それでも彼女につきあっていたのだけど、その時に彼女は必ず牛乳を持ってくる。朝も必ず牛乳を飲めと言う。たぶんなのだけど…あんたの牛乳が冷蔵庫に入っているから、いつでも飲めとも言っていた。そんなに俺に牛乳を飲ませたいのか…?

それで、彼女の悪習慣なのだけど、大酒飲みなのよね。彼女の1日の行動半径は、自宅、1階のバー、その向こうの小さな食料品店に限られていた。臆病なネコでも、もう少し遠くに行くだろ…そう思っていたのだけどね。

俺たち2人の日課は、朝の8時にマリアばあさんにホテル代金を払うことから始まる。彼女はそれを持って1階のバーに行く。朝からビールを大ジョッキで飲む。俺もつきあう。それからだらだらと11時くらいから散歩に行くのだけど、観光名所と言われている町の中心まで徒歩30分くらいだった。川を渡って、プラハの向こう側まで行くこともあったけど、何しろ朝から1リットルくらいビールを飲んでいるのだ。まともに歩けるはずがない。

チェコのことを思い出すと、なんだかモヤがかかったような景色が浮かんでくるのは、きっとそれが原因だな。夕方に何か食べるか、サンドイッチみたいなのを買って戻ってくると、マリアばあさんはワインとか飲みながらテレビを見ている。1階のバーにいることもあった。

そういう生活に別に文句はないのだけど、いい加減飽きてきたので、チェコのどこか違う町に行ってみることにした。マリアばあさんは寂しそうだったけど、出かけるときに鍵を返しに行くと、最初に会った日と同じような無表情な顔に戻っていた。

チェコに来る前のどこかのユースホステルで、チェスキークルムロフという町がいいよと聞いていたので、その町まで電車の切符を買った。ヨーロッパって、古い石組みの建物が残っている歴史地区とか、旧市街と呼ばれているようなところはたくさんあるのだけど、このチェスキークルムロフの町は、その中でも飛び抜けて美しかった。映画のセットの中というか、ゲームのドラゴン・クエストの町に来たような気がした。

あの角を曲がったら武器屋があるんじゃないかって気がしたし、ずっと頭の中でドラゴン・クエストのテーマがリピートされていたから。だからまぁ、どこを歩いていても観光しているようなものだった。川のほとりにはカフェがあって、そこでもまたビールを飲んだ。結局チェコじゃビールばかり飲んでいるな。

いろいろと複雑な歴史のある町なのだそうだけど、泊まっていたホテルのそばに巨大な看板があって、そのことだけしか覚えていないのよね。その看板には「バドワイザーのふるさと」と書いてあった。え、バドワイザーってアメリカのビールじゃないの?

よくよく看板を読んでみると、このあたりからアメリカに移民した人たちが作ったのがバドワイザーだそうで、バドワイザーの名前は「Budweis」という、このあたりの地域の名前が由来だと書いてあった。

ああ、言われてみたら、ちょっとチェコビールってバドワイザーぽいな。飲みやすいし。その町にもしばらくいたのだけど、ちょっと町外れの古城みたいなところに行った時、フランス人のバックパッカーと出会った。

その時彼はリュックを背負っていた訳じゃないけど、なんとなくお仲間だと分かるものなのよ。

ここまで来るのは、遠いから疲れたよ。英語でそう言うと、なぁ、日本語で「tired」って何て言うんだと訊かれた。「ツカレタ」だよと答えると、フランス語じゃ「ファティゲ」だ。「ジュ スイ ファティゲ」が「I am tired」だ。

じゃあ、俺は「ツカレタ」を忘れない。おまえは「ファティゲ」を忘れない。そういうことにしよう。

記憶って、面白いよね。忘れっぽい俺が今でも「ファティゲ」を覚えているから。しかしまぁ、チェコの記憶って、いつも酔っているな。