『シンゴの整体(48)つながっている⑤』

昔から夜中に山に登るとか、河原に夜に行って、川の向こうの藪の奥を見ているのが好きだったんだよね。
夜中に蛍を見に行って、河原で蛍をぼーっと見ながら、そのまま寝ちゃったこととかあるしね。

ああいう柔らかい闇って、怖いけど、なんだか懐かしいというか、温かいというか、湿っているというか、それを見ていたら落ち着くなぁって思ってたのよ。
でも、どうしてなのかはわからないままだったのだけど。うちの実家はスナックだから、夜の商売の息子だからじゃないかと思ったこともあったが、それはないな。

バックパッカーの時に、インドとかネパールとか、あちこちで瞑想を教えてもらったことがあったのだけど、俺が一番好きな瞑想のやり方って、古いイスラエルのやり方なのね。
最も好きな自然の中に自分がいるところをイメージすることから始まる瞑想法なのよ。

最初にその瞑想を習った時に、一番好きな自然ってなんだろうって考えたら…ちょっと深い川の淵に飛び込んで、そのまま底まで潜っていって、くるって上を向く。
それで、水を通して入ってきて、ゆらゆら揺れる太陽の光をぼーっと見ていることだなと思ったのね。

だから、その時のことをイメージすることにしたんだけど、あれもまぁ、夜中の山と似ている気がする。

本をたくさん読んで、そうか、そうか、そういうことかと納得したんだけど、俺の好きな闇って、あれはもしかしたら母親の子宮なのかもしれないと思ったのね。
川の底で浮いているなんて、まさしく子宮の中の赤ちゃんではないか!

そして、子宮のさらに奥からミシャグジ神や、宿神や、『翁』や、摩多羅神がやってくると思うのよ。

つまり、それは無意識だと思う。昔の日本人ってのは、ちゃんと分かっていたんだろうね。

頭で考えて(つまり、意識的にということだ)こうしよう、ああしよう…もちろん整体だけじゃなくて、仕事全般がそうだと思うのだけど、それだけじゃ乗り越えられないことがある。
でも、無意識に任せてしまうことができると、あっと驚くようなことが起こるのだと思う。

その時にキーワードになるのが「つながっている」ということだと思うのよ。

自分の中にあるのだけど、普段は自分でも分からない無意識。だけど、いつも「つながっている」からね。