アーユルヴェーダの大先生に続いて、人生2人目の脈診を使う先生に会ったのは日本なのだけど、鍼灸師のやっぱり大先生なのね。
かなりのお歳なのだけど、やっぱり会うたびにこの人は凄いといつも思う。
最近は、俺が整体をさせてもらっているのだけどね。
随分前の話になるけれど、その先生が脈診をした後こう言った。
かなり長い間右の腎臓が止まっていた。
でも今はちゃんと動いている。
そう感じるのだけど、そんなことあるかな?
腎臓が止まるとか考えにくいから戸惑っているんだよ。
ああ、それはたぶんですねと俺は説明した。
30になってすぐにお腹が痛くなって病院に行ったら、右の腎臓が動いていないって言われたんです。
生まれつき本来あるべき場所ではないところに血管がついていて、子供時代はちゃんと腎臓は動いていたけど、身体が大きくなってその血管が腎臓を締め付けて機能しなくなった。このままにしておくと腐るよって。かろうじてまだ大丈夫だから、手術して血管の位置を動かそうって言われました。
それで手術をしたんですけど、今はむしろ右の腎臓の方が元気だってこないだの検査で言われました。
ああ、そういうことなのか。
先生は感心したような顔をして、人間の身体というのは凄いよなぁとしみじみと言った。
もし右の腎臓が普通に機能していたら、たぶんシンゴはバックパッカー旅の途中で死んでいたと思う。
無茶なことをしてね。どこからか落ちるとか、そういう原因でね。
だけど、旅での経験がシンゴの先の人生には必要だったから、じゃあ恐怖感が強く出るように右の腎臓を止めようって身体がやってくれたんだよ。
マジですか?
でもまぁ、確かに旅の後半は、やっていることも、行っている地域もディープな方向に進んで行ったのだけど、前より慎重になったから死なずに済んだような気がずっとしていたのよね。
つまり、身体が俺を守ってくれた。そういうことですよね?
そういうことはよくあるんだよ。
その時は半信半疑だったけど、脈診で人を読み続けていると、それが間違いではないことが分かってきた。
頭で考えることなんて大したことはなくて、本当は自分なのに自分では分からない無意識や、阿頼耶識が、むしろ自分というものの本体なのかもしれない。