『なぜ十番なのか?①』

サロンが麻布十番に引っ越してくるまでは、考えてもみなかったのですけど、麻布十番があるのなら、きっと九番とか十一番とかもあるのかもしれない。サロンでふと思いついたのですけど…調べてみると、そういう地名はないのですね。じゃあ、なぜ十番なのか?

そう思っていろいろ調べてみたのですけど、諸説あるようです。港区のホームページには以下のように書かれているのですけどね。

「江戸時代に古川の改修工事のため「第10番目の工夫を出した地域」とか、「10番目の土置き場だったから」、「10番目の工区だったから」などの説が有力です。特に最後の説は、土置き場を示す杭が後に残っていたという記録があったことからも、信憑性が高いと思われていますが、はっきりしていません。」

はっきりしていないのか…まぁでも、とにかく九番はないということだけは分かりました。

麻布という地名については、当時の人たちが農業の副業として麻を育てていたからという説が有力だそうですが、他にも(麻布山善福寺の言い伝え)この地に昔麻が降ったことがあり、それを麻布留山(あさふるやま)といったのを略して麻布山としたのが地名になったとか、浅く草の生えている土地だったので浅生、変じて麻布となったという説もあるそうです。

まぁでも、「あざぶ」という地名が古いものであることだけは間違いがないようで、検索してみると「麻布という表記は、戦国大名である小田原北条氏の軍役賦課台帳「小田原衆所領役帳」に永禄2年(1559年)に「阿佐布」という表記で初めて登場します。江戸時代に入っても「麻布」という表記は定着せず、「安座部」「浅府」「浅生」「麻生」などさまざまな表記でした。「麻布」という表記で定着しはじめたのは明暦元年(1655年)の頃です。」と出てきますから、もしかしたら「阿佐布十番」なんて表記になっていた可能性だってあるわけですよね。

六本木があるんだから五本木とかあるんじゃないかと思っていたら、本当にあった。なんて経験があるのですけど、十番はそうはいかなかったようです。