『火あぶりにされたサンタクロース③』

話は、起源300年あたりのローマに遡ります。

どうも、この頃のローマ人というのは、建前上は誕生日を祝うことをよく思ってなかったようなのですね。

歴史上の人物が誕生日の祝いをしたなんてエピソードは、例えばプルタルコスに言わせるとローマ軍人の誇りを失う行為と綴られています。

ところが、いつだって騒ぎたい人たちというのはいるもので、一般的なローマ人は誕生日を祝うパーティーというのを結構派手にやっていたそうです。

パーティー好きのローマ人からしたら、冬至と言ったら不敗の太陽神のお祭りだったようで、かなり乱痴気騒ぎをやっていたようなのですけど、コンスタンティヌスがキリスト教を認めると…

にわかクリスチャンがどんどん生まれてきたのです。

でも、異教の祭りである太陽神のお祭りに彼らは行ってしまう。

じゃあどうするかということで考えだされたのが、12月25日をイエス・キリストの誕生日とするという解決策だったのです。うちでも祝うから、教会に来てね!ということですね。

だから、そもそも誕生日を祝うことを良い行いとは思っていなかった(建前ですけどね)ローマ人なのですから、イエス・キリストの誕生日を確定しようとさえ、その時点までは考えてもいなかったみたいです。

そこに、聖ニコラウスの伝説が加わって、サンタクロースが生まれたということですね。

だから、クリスマスといったらパーティーだ、盛り上がろうという気分は、ローマ人の気分なのだと思います。

クリスマスはサンタさんがやってきて、楽しくケーキを食べるんだという、その気分に、いやいや、イエス・キリストの降誕を静かに祝いましょうとノーを突きつけたディジョンの聖職者たちにには、気持ちは分かるにしても、順序から言ったら、あなたたちの主義主張の方が、後からできたものなんですよと嫌味の一つも言いたくなるのですよね。

冬至という、自然現象を祝う祭りがあった。古代人たちは、太陽が復活することから連想して、その日を復活と捉えることもあれば、太陽が最も弱くなることから連想して死者の日、あるいは悪魔や精霊の日と捉えることもあった。

そこに、ありとあらゆる新しい解釈や伝承が付け加わって、現在に至る。

文化というのは総じてそういう成り立ちをするものなのです。