アバターは歩いたり、走ったり、アクティブに行動します。食料を確保し、ゾンビと戦い、時にはアバター同士で撃ち合いまで発生する。
だけど、現実世界では、パソコンのモニターの前に座りっぱなしで、仮にゲーム内で死ぬようなことになっても、痛みを感じることはないのです。
マシン・ギャンブリングの依存者が、1人で機械と向き合ってゾーンに入るように『Dayz』のプレイヤーは集団でゾーンに入っているのかもしれない。
アバター同士のコミュニケーションが生じると言っても、現実世界とは違って安全な距離が保たれている訳です。
物理的に現実のプレイヤー同士は距離を隔てられているし、ゲーム内に現実の日常を持ち込むこともないですからね。
ある意味では脳を休めるために、ゲーム世界に入るのかもしれない。
なぜ長い時間をゲーム内で過ごすのかという問いに対して、私が感じたのはそういうことでした。
それにしても、運営側というのですかね、ゲームのプログラムを作って、提供している側のことですけど。
アップデートで少しずつゲーム内の世界が改変されることがあるとはいえ、基本的にはプレイヤーの行動に対して関与してこない存在な訳です。
それって理神論的(理神論というのは、神は創造主ですけど、創造後の世界は神の支配を離れ、自己の法則に従って働くとする考え方です)な神のようだと思っていたのですけど、この神(つまり、運営側ですね)の創造には抜け穴があって、アバターが水上を歩くとか、空を飛ぶという…裏ワザが存在しているのです。
そういえば、ホラー小説の『リング』に出てくる貞子が存在しているのは、この世界が実は仮想現実で、貞子はプログラムのバグだったことが続編で明らかになるのですけど…この映画を見ていると、自分の頭の中から記憶が引き出されてくるような、おかしな感覚があるのですよね。
ともあれ、何も考えない。思考しない。
完全に心が鎮静化した状態に依存しやすいのが、人間という種の脳の特徴なのでしょうね。
ダウナー系の麻薬(例えば、大麻やオピウムですね)も同じ機序を持っていて、依存を引き起こすことが分かっていますし。
異世界に人が惹かれる理由というのが、考えなくて済むから…
だとしたら、現実世界の生き方を変えた方がいいかもしれないですよ。
私はそう思います。