ことの発端は、シャンパンを水のように飲んでいたホテルの夜なのよ。
なんてったってシャンパンが安いのだから、飲まない訳にはいかない。
それでまぁタケシくんと楽しく飲んでいて、あれこれ話をしていたのよ。
その頃俺はひょんなことからカンボジアに学校を作るボランティアとか、孤児院の運営やらに関わっていたのよね。
孤児院に日本のお菓子を持っていってやろうと思って、上野の卸しで安く駄菓子を仕入れて持って行ったのだけど、カンボジアのガキんちょ達に一番人気があったのは、うまい棒だったのね。さすがに納豆味とかは嫌がられたけど…。
あのピカピカ光る包装紙も珍しいみたいでよ。大事に取っておく子供とかいたんだぜ。
そういう話をタケシくんにしていたのだけど、もうすでに二人ともグデングデンで呂律が回っていなかった。合同討議の朝はものすごい二日酔いだったのだ。
タケシくんがいきなりこう言った。
うまい棒のことだったら、僕に任せてください。
ああ、そうか、そうか、うまい棒といったらタケシなんだな、よっしゃ、よっしゃ…なんて返事をしていたのだけど、どうも酔っ払いの戯言ではないようなのよ。
実はうまい棒を作っている会社の社長さんの息子さん(つまり、次期社長ってことよね)の奥さんが、タケシくんの妹さんだそうで、その話を伝えてくれるという事だったのよ。
その後1ヶ月も経たないうちに、当時俺が住んでいた所に、6000本のうまい棒が届いた。6000本だぜ。しばらくはうまい棒の中で生活することになったのね。
カンボジアの孤児院に持って行ったのだけど、喜びまくっていくる子供たちの顔が忘れられないのよね。
大人のスタッフは、運びこまれる6000本のうまい棒にビビりまくっていたけどね。
奇跡ってあるよなぁとか思いながら、シャーマン会議の最後の催しである、トーテムポールが立つのをぼーっと見ていた。
ネイティブ・アメリカンの酋長が太鼓を叩いていた。カローラとマリアさんは正装だった。
機械と話せる兄さんは見当たらなかった。
強い風が吹いて、なんだか薬草とか聖なる木とかを燃やしている焚き火が大きく揺れた。
代々シャーマン的な仕事をしている一族の末裔もいれば、厳しい修行をした人もいるのだろうけど、一つだけ言えるのは、そこに集っている人たちは、みんないい顔をしていたよ。
人間、ああじゃなくちゃね。