神社合祀に反対する意見書『南方二書』は柳田國男との書簡のやり取りの中から生まれたものですが、熊楠はこの中に反対する論拠として8つのことを挙げています。
1、神社合祀で神を敬う気持ちが高まったというのは事実に反する。
2、神社合祀は村民の融和を妨げることになった。
3、神社合祀は地方衰退の原因になる。
4、神社合祀は村民の慰安を奪い、人情を薄くし、風俗を害する。
5、神社合祀は郷土愛、愛国心を損ねる。
6、神社合祀は土地の治安と利益に大きな害になる。
7、神社合祀によって、史跡、吉伝が滅却されてしまう。
8、神社合祀は、天然風景や天然記念物を滅亡させてしまう。
この中で「神社合祀は郷土愛、愛国心を損ねる」については、神社というのは産土神という機能を持っていて、自分のいわば根っこにつながっている。存在そのものを支えているものだと主張しているのですね。それが失われてしまうと、言ってみたら根なし草になってしまう。何かに帰属するという意識というのは、人を強くする。自分の生まれた土地を愛せないのだから、国を愛することもできなくなるというのが熊楠の主張なのですね。
こうしてみていくと、神社合祀で起こる害について、熊楠は3つの視点を持っていることがわかります。
変質するのは、自然であり、人間関係という社会資本であり、そして恐ろしいことに人の心だと考えているのです。
現代の日本人と熊楠が出会ったら、何を感じるか。それは、現代のアメリカ人とリンカーンが出会ったら、何を感じるかという問いと近しいものになりそうですけど、きっと驚くだろうと思うのです。
それにしても、南方熊楠という(こういう人物を傑物というのでしょうけど)巨人が明治時代の日本にはいたのですね。大英博物館に勤務していて、ネイチャーに論文を次々と寄稿していたけれど、博物館でスタッフに暴力沙汰を起こしてクビになり日本に戻ってきたそうですから、無茶な人ですね。怒り出すと止まらない癇癪持ちだったとも言われていますし、かなりの奇人だったそうですけど、この世界の成り立ちについて、誰よりも知っていたように思うのです。
所属と愛の欲求を満たせないまま、承認欲求だけが肥大しているのが、現代人の宿痾ですからね。