『ハロウィンの歴史③』

18~19世紀にスコットランド、アイルランドから移民してきた人たちが、ハロウィンをアメリカに持ち込んだそうなのですけど、当初はさほどの混乱もなく、穏やかな祝祭だったようなのです。

スミソニアン・マガジンによると、それが大人と子供の戦争のように過激なものに変化したのは、どうも都市化と関係があるようなのですね。

「アメリカが近代化し都市化が進むにつれて、いたずらは「騒乱」となっていき、20世紀半ばになると、「ハロウィンの問題」と呼ばれるものを鎮静化させる動きが現れ、若者たちの休暇をより安全なものにする運動が引き起こされた。

この過去の「トリック」(いたずら)への鎮静運動がなければ、今日のハロウィンには何の「トリート」(良い作用)もなかっただろう。」

子供たちのトリック(とは呼べないような行動ですけどね)がどんなものだったかと言うと…。

「1887年には、礼拝堂の座席が糖蜜で覆われ、1888年にはパイプ爆弾が爆発、1891年には新しい家の壁が黒く塗りつぶされた。

1894年には、ワシントン DCで 200人の男の子たちが、路上電車に乗っている身なりのいい人たちを小麦粉の大袋で叩きのめした。

子どもたちは火災警報器を鳴らし、店の窓に向けてレンガを投げつけ、校長の家に猥褻な絵を描いた。」

渋谷のハロウィンよりもひどいですよね。

スミソニアン・マガジンの分析では、なぜ子供たちが暴徒化してしまったかについて、このように書かれています。

「それ以前のアメリカ人たちは一般的に小規模なコミュニティに住んでおり、隣人を多く知っていた。ハロウィンのイタズラが起きるのは地元の草原だった。子どもたちはハロウィンにトラブルを引き起こすけれども、大人たちはその罪を自分に向け、笑って過ごした。しかし、20世紀初頭に多くのアメリカ人たちが大都市に移住して以来、都市部の大きな貧困の問題が噴き出し始め、別離や失業などの新たな問題が浮上した。」

太古より行われてきた「意識」的な秩序を「無意識」の侵入によって、一時的に破壊するという、共同体を再活性化する機能を通り越して、鬱積した怒りのエネルギーを爆発させる日に、いつしかハロウィンは変化していったのでしょう。

渋谷のハロウィンにも、ちょっと同じ匂いを感じてしまうのですよね。