さすがにハロウィンの渋谷には近づかないようにしよう…とは考えていたのですけど、30日なら大丈夫だろうと思っていたら、すでに歩行者の交通規制がはじまっていて、バス乗り場まで行くのに大きく迂回することになってしまいました。
ハロウィンの当日はずっとサロンにいたので、取り立てて何もなかったのですけど、ランチに出かけた時に、全身ガイコツのコスチュームを着た(顔もガイコツになっていました)男性が自転車で通り過ぎていって、なんだか映画のようだと思いましたけどね。
これを書いていて思い出したのは…数年前にタクシーに乗っていて、あれは確か三田から恵比寿方向に走っていたと思うのですけど…。信号待ちをしている時に、和服を着て竹の筒を咥えた女の子が集団で横断歩道を渡っていって、何ごとかと思ったことがありました。まだ『鬼滅の刃』(確かに禰󠄀豆子は鬼ですから、ハロウィンぽいですね)を知らなかったですからね。
中沢新一の『今日のミトロジー』には、渋谷のハロウィンについて、どちらかといえば肯定的な文章が載っているのですけど、そうはいっても騒乱のようになるのは良くないでしょうし、翌日のゴミの片付けだって大変だと思います。でもね…中沢新一が書いているように、ハロウィン的なものというのは、世界中至るところで行われているし、人間の持っている心の構造そのものと関係が深いですから、きっとなくなることはないと思うのです。
折口信夫が沖縄の祭りを調査した後に確立したと言われている「まれびと」という概念があります。時期を決めて訪れる「まれびと」という神を迎える祭りでは、日常の取り決めごとから自由になるのです。まぁ、無礼講のようなものですけど、それは「無意識」が「意識」に「やってくる」ことを表象していると思うのですね。心の中で起こることを、心の外部に再現した。ある種の祭りというのは、秩序を定期的に壊すことで、共同体の鬱憤のようなエネルギー抜きをしていたのだと思うのです。
「意識」だけで共同体を運営しようとする。それはつまり秩序だっているということですけど、そうなると必ず社会は硬直化していく。それを「無意識」からやってくる神が揺さぶる。ハロウィンというのは、古代の智慧とつながっているのです。