パティオ十番の、メトロの駅と反対側の出口あたり(くらやみ坂に上がっていく方ですね)に「赤い靴の女の子 きみちゃんの像」があるのです。小さな像なのですけど、不思議と目立つのですね。
最初に物件を内見に来たときに、あの女の子は誰だろうと思ったのですけど、次の予定があったのでよく見る時間がありませんでした。引っ越しが片付いて「赤い靴の女の子 きみちゃんの像」と書かれてあることを知ったのです。
ポケットのついたワンピース(これは幼稚園児がよく着ているスモックだと、スタッフが教えてくれましたけど)を着て、ブーツを履いた…たぶん小学生くらいの女の子。わずかに上を向いたおさげ髪の表情は微笑んでいるように見えます。
「赤い靴の女の子」という童謡については詳しくは知らなかったのですけど、どこかで聞いた記憶は確かにあるのですね。
「赤い靴履いてた 女の子 異人さんに 連れられて 行っちゃった」
せつない気持ちが心の奥から滲み出てくるような歌詞ですけど、何が起こっているのか(どうして彼女は外国人に連れられて行ってしまうのか)が全くわからないのです。その事情が「赤い靴の女の子 きみちゃんの像」のプレートに書かれています。
「赤い靴を履いてた女の子は 今、この街に眠っています。野口雨情の動揺「赤い靴」の詩にはモデルがありました。その女の子の名前は「きみちゃん」。きみちゃんは赤ちゃんの時、いろいろな事情でアメリカ人宣教師の養女に出されます。母かよさんはきみちゃんがアメリカに行って幸せに暮らしていると信じて雨情にこのことを話し、この詩が生まれました。しかし、きみちゃんは病気のためアメリカには行けませんでした。明治四十四年九月、当時麻布永坂町、今の十番稲荷神社のあるところにあった孤児院で、ひとり寂しく亡くなったのです。まだ、九歳でした。母と子の愛の絆を、この「きみちゃん」の像に託して、今、みなさまの幸せを願ってやみません。」
もっと詳しい事情を調べてみたのですけど(赤い靴のモデルとしてのきみちゃんは諸説あるようです)彼女の実在と、孤児院で亡くなっていて、アメリカには渡っていないことだけは確かなようです。
この像が作られた経緯も同時に知ることになったのですけど、麻布十番という町をますます好きになったのですね。