『私の知らない90年代④』

『ユー・ガット・メール』が公開されたのが98年だそうですけど、そうなんです…インターネットが普及し始めたのが90年代の後半ですからね。トム・ハンクスは、90年代に大活躍していて『プライベート・ライアン』や『フォレスト・ガンプ』で主演をつとめていたし、メグ・ライアンも売れっ子でしたよね。

ああ、あの頃かと、それで何となく90年代をイメージできたのですけど、インターネット以前、インターネット以降という、きっとかなり大きな変化の境目になったのが90年代なのですね。

96年に公開された『ミッション・インポッシブル』の1作目では、確か飛行機の中でCAに薦められた映画のテープを再生すると、ミッションの指令だったという始まり方をしていたし、奪い合いになるのはフロッピーディスクだったような…。ああ、やっぱり時代ってありますね。フロッピーディスクを最後に見たのはいつのことか…?

私の仕事の中でも、確かにこのあたりを境に人の「こころ」が変化していったように思うのです。その話は長くなりますから、また機会を改めて書こうと思うのですけど…シンプルに言ってしまうと自分のことを自分で認められない方、平たく言ってしまえば自分を好きではない方が増えたように感じているのです。

でもね。ウォン・カーウァイにしても、ジム・ジャームッシュにしても、そんなことは自分には関係ないと言わんばかりに、自分の好きな世界を撮っている。カメラを振り回しているのかなと思ってしまうウォン・カーウァイと、カメラがたいして動かないジャームッシュのスタイルはかなり違うのだけど、何となく同じ匂いがするのだから面白い。

映画全体を捉えようとしても、ぼんやりとしていて、手触りのようなものしか残らない。ストーリーが重要視されていなくて、どんな話と訊かれても上手に要約しがたい。映像がきれいだとか、スタイリッシュだという印象はあるのだけど、思い出せるのはいくつかの断片的なシーンだけ…私は90年代のカーウァイの映画をそう書いたけれど、それってつまり「夢」に似ている。

映画好き、読書好きの2人のシネフィルが、膨大な知識の蓄積の結果として、無意識から浮かび上がってきたような、明け方の「夢」のような映画。

無意識をインターネットに肩代わりしてもらっているような世界では、もうこんな映画は撮れないのかもしれない。