『時間の終わりまで⑥』

ブライアン・グリーンは言います。
内面に向かう方向に目を向けるのは気高いことだと。

「そこに目を向けるのは気高いことだ。その方向に歩きだすことは、
出来合いの答えを捨て、自分自身の意味を構築するための、
きわめて個人的な旅に出ることなのだ。

それは創造的表現の核心に向かう旅であり、心に響く物語のふるさとを訪ねる旅でもある。科学は、外なる実在を理解するための強力にして精巧な道具である。


しかしそれを認めたうえで、それを踏まえたうえで、他のいっさいは、
おのれを見つめ、受け継いでいく必要のあるものは何かを把握し、
物語…暗闇の中にこだましていく物語、音から彫琢され、沈黙の中に刻みつけられ、
最上のものは魂をゆさぶる物語…を語る、人類という種なのである。」

この一文で『時間の終わりまで』は締めくくられるのですけど…
もう何だか理由も分からないまま、涙が出てきたのですよね。

ああ、よかった。そういう安堵感に近いのかもしれないですね。
ここまで科学的な真実(宇宙の終焉)を知っている彼が、
いったいどのように意味を見出しているのか?

そのことを知りたい気持ちというか、好奇心を、後半を読んでいる間ずっと感じていましたからね。こんな美しい終わり方をするなんて。

それはまるで、『グレート・ギャツビー』のラストのようだ思ったのですよね。

それとは別の感情なのですけど、この本は人類を肯定している。それはもちろん、さまざまな悲劇は起こる。想像もつかないような酷いことだって人類はしてきたし、これからもするでしょう。そのことは私だって分かっています。

だけど、もっと別な階層で眺めてみると、自分がいつか死ぬこと、
そして自分の立っている地球も、地球が存在する宇宙さえも、
いつか終焉を迎えることを唯一知っている種として、それなりによくやっているよ。
そういう優しさのようなものを感じたのですね。

こうやって、私がささやかな思考をすることさえエントロピーを増大させている。
つまり、宇宙をごく僅かでしょうけど、終焉に進めてしまっている。

でもいいんです。
より良く生きている実感が、私の内面に生まれていますから。