斎藤先生の書かれている前半の部分(前回の文章を参照されてください)というのは、まるで「いいね!」をしてもらうために何でもしてしまうユーチューバーとか、インスタグラマーのようですよね。『薬物依存研究の最前線』にこの文章が寄稿されたのは1999年ですから、まだユーチューバーもインスタグラマーも存在していなかったと思います。ですから、これはある種の予言のようにも読めてしまう訳です。
問題はこの次ですね。
「他者の評価ばかり気にしていると、自らの中に自己を承認し、愛する部分が育たず、その帰結として、思いどおりに動かない自己に対して「意志の力」という鞭を当て続ける。その痛みが「耐えがたい寂しさ」として感じられる。」
会社で上司に認めてもらうために、仕事で成果を出さなければいけない。だから毎日残業をする。それが普通なのかもしれませんが、それでは仕事で成果を出せない自分というのは、ダメな自分ということになる。「いいね!」をしてもらえない自分もダメな自分ということになる。
他者から認めてもらうことを望むのであれば、他者から認めてもらえる自分に自分を変える必要がある。そういう考え方が、この流れからは出てきてしまう。でも、別にダメでもいいんです。仕事があんまりできないから、上司からの受けは良くない。だけど、そんな自分でも自分が好き。そういう風に考えることができれば問題ないのですけど、「寂しさ」を訴える方というのは、そう考えることができないのです。