『どうしてそんなに寂しいのか?①』

カウンセリングの現場で、よく聞く言葉がいくつかあります。

「退屈だ」「つまらない」「意味がない」などが代表的なものですけど、比較的カウンセリング初期にこのような言葉が多用されるのに対して、カウンセリングを何度か受けているうちに、ぽつりぽつりと本音のように使われるようになる言葉もあります。「寂しい」とか「見捨てられるのが怖い」とか、あるいは「◯◯に対して怒っていたことに気づいた」などもありますけど、どうしようもないくらいの耐えがたい「寂しさ」を訴える方は特に最近多いですね。

まぁ「寂しい」という言葉を使わなくても、常に恋人を探すためにアプリを使い続けるとか、誰かと会うスケジュールが埋まっていないと不安になるとか、行動で「寂しさ」を表現しているタイプの人も多いですけどね。

どうしてそんなに寂しいのだろう?

精神科医という立場を離れて、一人の人間として自分は寂しいと感じることはあるだろうかと考えてみたことがあるのですけど、あまり寂しさという感情を私は感じたことがないのですよね。ずっと一人暮らしでしたし、両親はすでに亡くなっている。そんなに大勢の友達がいるわけでもない。生活だって単調です。映画を見ているか、本を読んでいるか、ジョギングしているか、料理を作っているか、カフェにいるか、ワインを飲んでいるか…くらいのものですから。そのほとんどの時間は1人ですけど、寂しいと感じたことはない。

ということは、私が特殊な人間でないのであればという前提付きですけど、寂しいという感情が生じることと、複数の人間と一緒にいるということには関係がないのかもしれない。1人だから「寂しい」わけではないし、複数でいるから「寂しくない」わけでもない。そう思ったのですね。