『10000時間仮説⑤』

手続き記憶というのは不思議なもので、言語化するのが難しいというのも特徴の一つです。

自転車に乗る練習を始めたばかりの子供に、言葉でコツを伝達することは難しいですし、ピアノの上級者が初心者にコツを教えることも難しいですね。

だからこそ、コーチという職業が存在するのだと思います。

言語化するのが難しいことを、言語化する能力の高い者。それがコーチなのですね。

まぁでも、そもそも言語化できない。あるいは言語化する気がないということもあるのですね。

整体を担当しているシンゴに、私も時々整体をしてもらうのですけど(もちろんお金はちゃんと支払います)あ、食べすぎてるから腰が痛いでしょとか、何をいったい悩んでいるのよ…なんて言われることがあるのですね。

彼は脈診といって、整体を始める前に脈を読むのですけど、その時点で(まだ身体にはどこも触れていないのに)ドキッとするようなことが分かってしまう。

どうして分かるのと質問しても、いやぁ、何となく…くらいしか答えてもらえない。

まぁ、本当に言葉にできないようなのですけどね。あくまでも感覚らしいですから。

でも、そういえば…ある時を境にしてクライアントに会った瞬間に、ああなるほどなぁと分かってしまうことが増えてきました。

なぜ分かるのか…それには残念ながら答えられないのですね。

いや、秘密にしているのではなくて、直感としか言いようがないからなのですけど、見立てを間違っていたという経験はないですね。

カウンセラーとして独り立ちするまでのトレーニングは、かなりハードなものでしたから、おそらく数年で10000時間を超えていたように思います。

「やり抜く力」で紹介されている何かを継続する能力を養う方法は…①少し高めの目標を設定する。②小さな成功体験を積み重ねる。③大変でも楽しめることにチャレンジする。④「やり抜く力」の高い人たちがいる環境に身を置く。この4つだそうです。確かに、大学の環境って、このどれもが当てはまっていたな…。

何かをずっと続けていらっしゃる方…自分の無意識を信じていらっしゃる方というのは、何かを知っている。たとえそれが言語化するのが困難なものであったとしても、その何かが個性というものではないかと最近思っています。