『Bio c’ Bonが映画館だったころ①』

サロン前のきみちゃんの立っているパティオから、大黒坂の方に登ってすぐのところにBio c’ Bonというオーガニック・スーパーマーケットがあるのですけどね。
ちょっと他所では見かけないような食品を置いているので、時々買いものに行っています。

Bio c’ Bonのある建物は、麻布十番中央マンションと言うそうなのですけど、以前は大丸ピーコックというスーパーマーケットがあって、さらにその前は…映画館だったそうです。

麻布十番には4館の映画館があったそうなのですけどね(今は残念ながらゼロです)そのうち麻布中央劇場と麻布映画劇場という、2本立て専門の映画館が並んで入っていたのが、今のBio c’ Bonのあたりだったそうです。

今のダイエーがある場所にも麻布日活館があって、十番稲荷の向かいにも麻布名画座があったそうですよ。こちらは、もともと十番倶楽部という寄席だったそうで、改装して映画館になったそうです。

麻布十番で生まれ育ったという方から、十番に映画館があったという話は伺っていたのですけど、そこでどういう映画がかかっていたかとか、詳しい情報について知ることができたのは高井英幸著『映画館へは、麻布十番から都電に乗って。』を読んだおかげなのですけど、高井氏は、東宝の代表取締役をされていた方です。
つまり、TOHOシネマズの社長だった方ですね。

麻布十番という地名がタイトルになっているので、興味があって読み始めたのですけどね…映画好きにとっては、貴重な記録がたくさんしたためられていて、そうだったのかぁと興奮しながらあっという間に読んでしまったのです。

1962年9月までは、麻布十番は麻布宮下町という町名だったのが、同年10月から住居表示が変わって麻布十番になったことも、この本で知りました。麻布十番という言い方だと、昔は商店街の名称という認識だったそうです。ちなみに、その住居表示の変更があった時に、麻布霞町が西麻布に、芝田村町が西新橋に変わったそうです。恒例のタクシーの運転手さんに、西麻布までと伝えたら、ああ、霞町ねと言われて、その話をしたことがあるのですけどね、1962年、つまり昭和37年の話だったのです。

高井氏は現在83歳だそうですから、まさに戦後の映画史をリアルタイムで見てきた方です。この本はおすすめですよ!