『普通の人を生きる⑥』

『普通という異常』にも、何かのきっかけで小豆を茹でてあんこを作ってみたら、あんこ作りにすっかりハマってしまって、会社を辞め、あんこ屋さんになった女性のエピソードが触れられているのですけど、

会社を辞めるとか、人生を大きく変えてしまうような何かに出会わなくても「小確幸」(小さいことだけど、確実に幸せなことという意味の村上春樹の造語です)をたくさん集めることがいいのではないかと、ふと思ったのですね。

うつ病であるとか、心に問題が生じてしまう方というのは、だいたい有用性で自分を判断してしまっていることが多いように思います。これをすると得があるから、嫌だけどやる。これをすると損をする、または意味がないからやらない。

そういう有用性だけで自分を縛ってしまうと…それでなくてもバトルフィールドで生きているのですから、早晩苦しくなりますよね。

「いいね!」から降りてしまえればいいのでしょうけど、それでは自分を支えることができなくなってしまう。ある程度の承認欲求はどうしても残る。だけど、それ以外にも「いいね!」とは無関係にしたいことを見つける。

これを書いている間に雨があがって、ちょっと肌寒さを感じるくらいの気温になってきたのですけど、ちょっと羽織ものを着て、夕食の買い物に出かける。

ゴム製のサンダルの下で、濡れた路面がキュッキュッと音を立てる。
千切れたような雨雲の残りが、すごいスピードで流れていくのを見上げる。何だか楽しい。

無意識の黄金時代…つまり「いいね!」なんて気にしなかった子供の頃のように振る舞う。それもきっと「小確幸」ですね。そうそう、ベルクソンが1913年にコロンビア大学で行った講演で語ったことが『普通という異常』には紹介されています。

「人間であることは疲れること」

たまにはため息をつくのもいいかもしれないですね。
普通だろうが、そうでなかろうが人間なんですから。