『自由という刑罰⑥』

『自由という刑罰』も6回目になりましたけど、そもそもこの文章を書こうと思ったきっかけは、映画館で見かけた言葉なのです。

「没入感」なのですけどね。

「異次元の没入感」とか「圧倒的な没入感」とか、最近見かけることが多いと思うのです。私の記憶では、この言葉が多用されるようになったのは2020年あたり。『1917命をかけた伝令』のプロモーションで「驚愕の没入体験」が使われているのを見たのが最初だったような…?

「没入感」をググってみると「他のことが気にならなくなるほど、ある対象や状況に意識を集中している感じ。特に、音楽・映画・ゲームのほか、バーチャルリアリティー(VR)などで体験する感覚についていう。」と書かれていたのですけど、その世界に入り込んでしまっているだけでは「ああ、私は生きている」という実感は生じないのです。

『1917命をかけた伝令』は第一次世界大戦の塹壕の中が舞台ですけど…その世界にいくら没入しても、観客が座っているのは快適な映画館の椅子です。「ああ、私は生きている」という現実感が生じるためには、塹壕は寒いなぁとか、お腹が減ったなぁという自分が置かれた環境をメタ認知する必要があるのですね。

同じようにSNSにいくら没入しても、現実感は得られないのです。

映画館に恋人と出かける。映画に没入してしまって、驚きのあまり恋人の手を強く握ってしまう。そうしたら、恋人が握り返してくれた。あ、この人手に汗をかいていると感じる。そういう経験だけが、きっと「自由という刑罰」から逃れる方法ではないかと思うのです。