『天才の心理学③』

『バーデン・バーデンの夏』という小説があるのですけど、ドストエフスキーがドイツの保養地バーデン・バーデンで賭けごとばかりしている話なのですね。自然描写が美しくて素晴らしい本なのですけど、ドストエフスキーが出てくるとひどいのです。

今だったら、ギャンブル依存症と呼ばれていたでしょうけど…賭けごと狂いだったドストエフスキーは奥さんの私物を質屋に入れてまでギャンブルを続けるのです。
妻のアンナの回想録によると、現実は小説よりもっとひどかったみたいです。

天才が家にいると…家族が迷惑を被る典型のような話なのですけど、南方熊楠も負けず劣らずの奇人ですから、奥さんは大変だったようですね。
異常な暑がりで、真冬でも風呂から上がって何も着ない。その上濡れた身体を拭かないから、床はびしょ濡れになる。奥さんはタオルを床に敷き詰めていたそうです。やれやれ…。

ドストエフスキーと南方熊楠。二人の共通点は癲癇を持病として持っていたことなのです。

ドストエフスキーの癲癇については木村敏の『時間と自己』という名著に出会って、改めて考えさせられたことがあって…木村敏は、精神的な症例によって特徴的な時間の感覚を持つと論じているのですね。

統合失調症患者は「いつも未来を先取りしながら、現在よりも一歩先を生きようとして」おり「祭の前」を意味するラテン語の「アンテ・フェストゥム」的である。

うつ病患者は「とりかえしのつかぬことになった」という意識が特徴的で「あとのまつり」を意味する「ポスト・フェストゥム」的である。

この2つの時間の感覚(今、この瞬間をどう感じているかということですけど)を挙げた上で、木村はドストエフスキーを例に挙げて、癲癇を持つ者の時間感覚について説明するのです。

癲癇を持つ者は「祝祭的な現在の優位」を特徴とする「イントラ・フェストゥム」という時間の感覚を持ち、永遠としての現在を感じる「アウラ」と呼ばれる意識体験を持つ。木村敏はドストエフスキーは登場人物を通して「アウラ体験」を再現していると書いているのですね。

その一瞬に、現在、過去、未来という時間の全て(それは永遠と呼ばれるでしょう)が凝縮したような時間感覚…う~ん、イメージが難しい。