最近は、サロンのチラシを持って、麻布十番をうろうろしていることが多いのですけどね。先日はハロウィンのイベントをしているところに遭遇して、着ぐるみの恐竜さんと記念写真を撮りました。実はですね…恐竜大好きなんですよ。
その折に、たまたま知り合った、生まれも育ちも麻布十番という女性から、昔のこのあたりの話を伺ったのですけどね。
ちょっと謎が解けたというか、ああ、そういう事情があったのかと納得したことがあったのです。
彼女によると、もともと麻布十番には鉄道がなくて、都電だけが走っていたそうです。現在麻布十番駅に乗り入れている南北線、都営大江戸線が開通したのは2000年だそうですから、最近の話ですよね。日本で初めての地下鉄になる、銀座線(当時は上野~浅草間)が開通したのが1927年ですから。
バス停の名前に名残がありますけど、一ノ橋(停留所には麻布十番と併記されています)の都電停留所からは、目黒、中目黒、渋谷、銀座、五反田と、たくさんの場所に行けたそうです。だけど、鉄道がないこともあって、なかなか行きにくい町であることは間違いがなかったそうで…当時は「陸の孤島」と呼ばれていたのだとか。
でもね、その交通の便が悪いことが、かえって町の雰囲気を作ったのかもしれない。そう思ったのですね。どこか隠れ家的な印象が今でもありますから。「大人の町」と最近は雑誌などで紹介されているそうで、遊びに慣れた方だけが通ってくる、だけど、そういう方たちを納得させるだけのお店がたくさんある町。そういうイメージになっているのだと思うのです。
個人的にはバスが大好きなものですから、麻布十番からの移動はほとんどバスを使っているのですけど、都電が走っている頃だったら、間違いなく都電好きになっていたような…。ヨーロッパの都市にあるトラムも好きですしね。
ちょっと調べてみたのですけど、麻布十番に都電が通ったのは1908年。1914年には天現寺橋から金杉橋まで全線が開通したそうです。
四ノ橋から終点の金杉橋まで、都電の停留所の名前に全て「橋」が付いていることでも有名だったそうですよ。なんと9連続で「橋」のつく停留所だったそうです。四ノ橋→古川橋→三ノ橋→二ノ橋→一ノ橋→中ノ橋→赤羽橋→芝園橋→金杉橋。
乗ってみたかったな。