濱口竜介監督の『悪は存在しない』を見てきたのですけど、映画の最初のショットが美しくて(石橋英子さんの音楽も素晴らしかったです。)ああ、これこれ、こういうのが見たかったのよねと思いました。
森の中へカメラはゆっくりと進んでいく。画面の下から上へ向かって木々の枝や幹が流れていくのですけど、誰かが見上げているのだろうなというアングルで撮影されているのです。
ゆったりとしたペースで映画は進み、湧き水を汲んで、水の入ったポリタンクを車に運ぶ。ちょっと休憩してタバコをふかすという動きを目で追っているだけで、何だかリラックスしてくるのですね。
グランピング施設の建設をめぐって住民説明会が開かれるシーンで、髪を金色に染めた若い男性が業者に突っかかるシーンがあります。ケンカにならないように、主人公に肩をグッと掴まれてしまうのですけど、その瞬間に生じる、ある種の緊張のようなものを私は「嫌だな」と感じたのですね。
業者が東京に戻ってズーム会議で話すシーンが、その後にあるのですけど…雑居ビルの立ち並ぶ都市の風景が出てきただけで、何だか疲れてしまう。コンサルティング会社の無表情な男性の顔を見ていると、どうも気持ちがげんなりしてくる。早く森の中にカメラが戻ってくれないかなと願ってしまうのです。
ラストシーンの意味が分からないとか、あまりにも唐突すぎて驚くという評がされているようですけど…画面に映るものを、いったい誰が見ているのかを考えながら追っていましたから、私には、やっぱりそういうオチになるのねとしか思えなかったのです。伏線もたくさん張られていましたし。
だいたい、映画を見終わって、ちょっとワインとか飲みたいなと感じる時は、私に合った映画を見たということだと最近わかってきたのですけど、この映画は水が飲みたくなりました。湧き水を映画でたくさん見たし、セリフとしても「水」について何度も話されていたからでしょう。
性格というのは、何かに対する反応の総体だということを前々回に書きましたけど、映画を見ている自分の反応を感じていると、ああ、私ってそういう人なのかということがうっすらと分かってくる。そんなことを感じる余裕がないほど没入できる映画だったら、きっとあなたはスクリーンに提示された何か、あるいは音が、好きなのだと思います。
何が好きか?何が嫌いか?自分のことを知るためには、そこから始めてみるといいのかもしれないですね。