『種の違う友人』

インスタグラムに、京都大学についての面白い投稿を見つけました。

ドイツ語の期末試験は、何でも持ち込み自由だったそうで、それならとドイツ人の友人を持ち込んだ学生がいたとか、コロナワクチンに関する議論の結果、結論に至らなかったので任天堂のゲームで決着をつけたとか…本当なのかと疑いたくなる話がたくさんあったのです。

中でもこれは凄いと思ったのは、大学内の吉田寮には伝統的なレースがあるそうで、それは「ヒッチレース」と呼ばれているそうです。

目隠しをした状態でどこかに連れて行かれ、そこから無一文で京都大学まで帰るレースだそうですけど、各選手(選手と呼んでいいのかどうか微妙なところではありますけど)の状況が公式アカウントで報告されます。

昭和村→現在白川郷→不明
沼沢湖→安積PA→東京
白兎神社→天橋立→帰寮
壱岐知夫里島→本土上陸→米子
壱岐中之島→本土上陸→リタイア
宇和島矢印→自分がどこにいるのか分からなくなっている→帰寮
壱岐西之島→島を気に入ったので残留→島生活満喫中

最初の方が不明になっているのは、大丈夫なのだろうかと心配してしまいますけど、最後の壱岐西之島の方は凄いですね。そもそも寮に戻るという目的が別のものに変わってしまっている訳ですから。

ちなみに壱岐西之島は、島民の方が600人なのに対して、タヌキが2000匹いるそうです。30年前に村長が2匹を放したのが始まりだったとか。

大学というのは法的にも自治権があるのですから、独特の文化が育っていきやすい傾向にはあるのでしょうけど、振り返ってみると私が在籍していた大学も、かなり変わっていたかもしれない。

大学の敷地はとてつもなく広かったですから(アメリカで郊外にある大学はだいたい広いものですけど、うちの大学はそれこそバカみたいに広かったです)大学から出なくても生活ができてしまいます。生協に行けば何でも買えますし、料理なんてする時間があるのなら勉強しなさいという校風だったので、深夜でも食堂に行けば何か食べることができる。

私の場合は寮と大学と図書館の3つをグルグル回るような生活でしたので(とにかく宿題の量が多くて、それ以外の場所に出かける時間なんて皆無でした)年に数回実家に戻る以外は、大学と大学院の期間、ほとんど大学の敷地内にいました。

唯一の息抜きだったのは、霊長類研究のクラブに所属していたので、ボノボと会話をすることくらいでしたね。

ボノボというのはチンパンジーの類縁種なのですけど、チンパンジーやゴリラに比べて攻撃性が低いのです。知能も高く、うちの大学にいたボノボは手話で会話をすることができました。

ジル、髪を切ったんだね。よく似合っているよと、手話で話をされた時は驚きましたけど、すでにボノボにもウィットというものがあるのには、もっと驚きましたね。

毎日15時になるとおやつが出るのですけど、ボノボは時計の針を調整して15時にしてしまう。それで、ねぇおやつの時間でしょと言ってくるのです。

かなりハード(過集中ぎみの私がいけないのですけど、食事も摂らずに図書館で勉強していて、倒れたことが何度もありますから)な大学生活の中で、ボノボという種の違う友人を得たことで得られた恩恵は大きかったな。

京都大学の投稿を読みながら、久しぶりに友人のことを思い出していました。