そもそも、存在するというのはどういうことなのか?
見たり、触ったり、聞いたりできるもの…つまり人間であれば五感で感じることができるもの。素朴な答えならそうなるでしょうね。見たり、触ったりできないから、幽霊は存在しないと思っている方も多いと思います。
でも、この答えには当てはまらないものもあります。素粒子とか、重力とか、Wi-Fiだって感じられないですからね。
それに、精神科医としては、もし五感で感じられないものは存在しないということになると、非常に困ることが起こるのです。だって、「心」って見えないですからね。でも、見えないから、あなたには「心」がありませんねとはならない訳です。
アメリカの分析哲学者W・V・O・クワインは『なにがあるのかについて』という論文(『論理的観点から 論理と哲学をめぐる九章』という本に掲載されています。)の中で、目からウロコが落ちるとはこういうことだなと思うことを書いています。
あなたが現代物理学を信じているとします。もちろん信じないという方がいてもいいのですけどね。そうなると、あなたは目には見えないし、触れることができないけれど(直接観察することはできないけれど。)素粒子の存在を認める他ない。
私は精神科医として精神医学を信じているのですから、目には見えなくても「心」の存在を認める他ない。
つまり、観察できるかどうかは、存在しているかどうかとは関係ない。クワインはそう考えているのです。