『問いとは何かを問う?④』

問いが、問うという行為なのだったら、どのようなタイプの行為なのでしょうか?

ラニさんの出した結論は「問いとは、情報探索の行為である」ということです。

Googleの検索窓に「地元 エジンバラ 肉屋」と打ち込むことは、情報探索の行為です。知らない単語を辞書で調べるのも情報探索の行為ですね。知らない横断歩道を渡る時に左右を見る。これも近づいてくる車がいないかどうかを情報探索しているのです。

哲学って面白いなぁと、これを読んでいて思ったのですけど、まさか「問い」が情報探索の行為であるなんて結論に達するなんて。正しい順序で問いを積み重ねていくと、そういう世界が見えてくるのですね。

人間は1日に30000~40000回も自分自身に問いかけているそうです。つまり、生きるということは「問う」ことに費やされているといっても良さそうです。

それであれば、何を問うのかが、その人を形づくる。そういうことになるでしょうね。

私の仕事について言えば、精神疾患が回復していく過程で、クライアントの自分自身に対する問いかけが変化していくのを幾度となく目撃してきました。

よく言われているように、良い答えを引き出したければ、良い問いをすることが重要なのです。

『問いとは何かを問う?⑤』

統合失調症からくる妄想にはいくつかパターンがあるのですけど、ポピュラーなのは反社会勢力から追われているとか、CIAから監視されているとか、そういう類の妄想です。

自分自身を統合失調症だと認識していない。つまり病識を持っていない時であれば、なぜ私が反社会勢力から追われるのか?あるいはCIAから監視されるのか?そう問うでしょうね。

ところが、自分が病的な状態にあることを自覚し、病識を持ってくると質問が変わっていきます。

なぜ妄想を感じるのか?であるとか、どうすれば妄想に振り回されないようになるのか?といった方向に変化が起こるのです。

LINEを既読スルーされた。もう私は見捨てられるに違いない。どうしていつもそうなってしまうのだろう?と問うよりも、境界性パーソナリティー障害だから、そう考えてしまうのかもしれない。どうしたら、気持ちを落ち着かせることができるだろう?と問う方が、ずっと建設的でしょう。あるいはいつまでも寛解しない症状があれば、服用している薬を見直すことを問うことが大切になってくるでしょう。

精神科医としては、クライアントがどのような「問い」を発するかを読み取ることが大切になってきます。言語で表現されるとは限らないし、疑問文になっていないかもしれないですけど、それはクライアントがどのような情報を求めているのかを理解するために必須だからです。

『問いとは何かを問う?⑥』

統合失調症からくる妄想がある。反社会勢力から追われているとか、CIAから監視されているとか、そういう類の妄想です。

自分自身を統合失調症だと認識していない。つまり病識を持っていない時であれば、なぜ私が反社会勢力から追われるのか?あるいはCIAから監視されるのか?そう問うでしょうね。

ところが、自分が病的な状態にあることを自覚し、病識を持ってくると質問が変わっていきます。

なぜ妄想を感じるのか?であるとか、どうすれば妄想に振り回されないようになるのか?といった方向に変化が起こるのです。

LINEを既読スルーされた。もう私は見捨てられるに違いない。どうしていつもそうなってしまうのだろう?と問うよりも、境界性パーソナリティー障害だから、そう考えてしまうのかもしれない。どうしたら、気持ちを落ち着かせることができるだろう?と問う方が、ずっと建設的でしょう。あるいはいつまでも寛解しない症状があれば、服用している薬を見直すことを問うことが大切になってくるでしょう。

問いとは、情報探索の行為でした。粟津恭一郎さんが言っているように、生きるということそのものが問いの連続なのかもしれないですね。