『哀れなるものたち』

エマ・ストーンがアカデミー主演女優賞を獲った『哀れなるものたち』ですけど、映画のラストのさらに先の話が書かれているという話を聞いて、原作小説を読んでみたのですけどね、これがなかなかに奇妙な本なのです。

原作者のアラスター・グレイが本に仕掛けをしているとでも言うのですかね。

映画は主人公のベラが、ある種の疑似家族と生きていくことを選択する…そのあたりで終わるのですけど、原作の方は語り手が変わって、さらに続いていきます。

脳を移植されたベラが成長していく物語を語っているのは、夫なのですけど、原作の後半はベラ本人に語り手が変わるのです。そして、夫が書いた内容というのは彼が自費出版した小説で、その内容は彼の作り話だという告発になるのです。

さらに、この物語の原稿というのは偶然発見されたもので、作者のアラスター・グレイは著者ではなく、あくまでも編者だという体になっているのです。イラストレーターでもあるアラスター・グレイは挿絵もたくさん描いています。

2つの物語には膨大な注釈がついていて、社会運動家として活動していたベラを揶揄する新聞記事であるとか、その後のベラの軌跡を追うことができます。

でも、そういう事情の本ですから、映画でエマ・ストーンが演じたベラがその後どうなったかという話ではないのですね。

映画に出てきたベラなんて女性はいない。脳を移植されたとか、そういう話は主人のデタラメであると告発した、言ってみたら本当のベラのその後ですから。

それはそうと…映画の方では、小説の後半部…つまり映画の内容はデタラメだという部分がありませんから、映画の中のベラの物語というのは、映画の中では真実だということになっているのです。ただ、映画でも貧しい子どもたちが物乞いをしているシーンで、この世界の現実というか、当時のヨーロッパ列強が生み出した格差を見てしまう。そこで目覚めが起こるのですけど、小説の方にも同じシーンがあって、そちらの方がもっと細かい状況説明であるとか、ベラの心の動きが描写されるのですね。

映画では語られないベラのその後ですけど、きっと女性の権利を獲得するための社会運動であるとか、そういう方向に進んでいくのではないかという雰囲気が映画のラストで提示されます。物乞いの子どもたちを見たショックから現実を変えたいという方向に進むのだろう。そういう流れですね。

小説の真実だとベラ本人が伝えている後半部のベラは医師であり、社会運動家になっていますから、結局のところ「脳を移植された」とか「弁護士のダンカンと駆け落ちした」とかの部分を除けば、2つの物語の行き着く先というのは同じなのですけどね。

小説を読んでいて、アラスター・グレイの描いたベラのイラストが、映画のエマ・ストーンのベラの容姿に反映していることが分かったのですけどね。濃くて、ちょっともう左右がつながっているのではないかと感じるくらいの眉毛。意思の強さを表しているのでしょうけど、あれを見ていてメキシコの画家フリーダ・カーロのことを思い出しました。彼女の人生というのは、ポリオの影響による足の萎縮であるとか、20歳以上歳上のディエゴ・リベラとの結婚と離婚、そして同じディエゴとの再婚とか波瀾万丈です。なんとなくベラと同じものを感じるのです。

フリーダの描いた『父の肖像』の献辞には「私は父ギリェルモ・カーロを描くものなり。父はハンガリー・ドイツ系の出にして、芸術家であり、職業写真家である。心ひろく、知的で、その人となり貴く、勇敢にして、60年の長きにわたっててんかんに悩めるも、休みなく働き、ヒットラーに歯向かった。敬愛する娘フリーダ・カーロ」と書かれています。ベラのゴッドへの想いと重なるような気がしませんか?