クリスチャンの多いアメリカでは、結構有名な言葉なのですけど、日本ではあまり知られていない。それが「ニーバーの祈り」だと思うのですけどね。
ユニオン神学校の教授だった、ラインホルト・ニーバーが残した祈りの聖句です。
神よ、
変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。
そうそう、宇多田ヒカルの『Wait & See〜リスク〜』に、ニーバーの祈りを捩った歌詞があります。
変えられないものを受け入れる力
そして受け入れられないものを変える力をちょうだいよ
◯ニーバーさん
変えられないもの→受け入れる「冷静さ」をください。
◯宇多田さん
変えられないもの→受け入れる「力」をください。
受け入れられないもの→変える「力」もください。
これはつまり、ニーバーさんからしたら、変えられないものは何でも冷静に「受け入れる」しかない。だから変えられるか、変えられないか、それを見分ける知恵をくださいと言うのですね。
でも、宇多田さんは違うわけです。変えられないものを「受け入れる」力がほしい。受け入れるのは、彼女にとっては力技なのでしょう。さらに、変えられないものには、力で受け入れられるものと、どう頑張っても受け入れられないものがある。それなら、受け入れられないものを、受け入れられるように変える力もくださいと歌っているのだと思います。
世の中って、実はほとんど変えられないことで出来上がっています。変えられることなんて、週末のディナーの予約くらいかもしれない。
誰かを変えることもできないし、世界を変えることもできない。
もしかしたら、変えられるのって自分だけかも。
受け入れなさいと、さらっと言うニーバーさん。
その受け入れることが大変なのよ、だから力が要るのよと歌う宇多田さん。
でもきっと、二人とも変えられないことへの対処法は一つしかないことを、心の底から分かっている気がします。
受け入れるって、なかなか、受け入れがたいことですけどね。