『自分を知るということ②』

フロイトからはじまる「精神分析」と呼ばれている「心理学」のジャンルの考え方では、人間の心を3つに分けて考えます。

1、自分で、これは自分の考えだぞと知ることのできる「意識」という心の部分。

2、自分では、一体何があるのか全くわからないけれど、自分の行動に影響を与える「無意識」。

3、「無意識」から浮上して、自分でこれは自分の考えだと知る(意識される)前に、そんなものを考えちゃいけないと情報を検閲する「超自我」。この部分は言ってみたら裁判官みたいなものですね。

ところが、偽装工作をして禁じられた商品を密輸するように「無意識」にある情報は形を変えて「超自我」の検閲をすり抜けることがあります。そうして生じるのが神経症なのですね。

もう手の皮膚が剥けてしまって痛いのに、それでも手を洗わないと気が済まない。なぜそのようなことが生じるのか、原因は自分にも分からない訳です。ところが、カウンセリングで原因が特定されると、それだけで症状が消えてしまうことがあるのですね。

「無意識」の訴えは、長い時間をかけてやっと「意識」に受け止めてもらえた。心的なエネルギーが解放されれば、もう症状として表現する必要がなくなる。それが理由だと考えられています。

それであれば、自分のことをもっと知ることができたら、少なくとも今よりも生きることが楽になるかもしれない。そう考えることができますよね。

どうして、些細なことだと分かっているのに、あの人が言った一言が気になり続けてしまうのだろう?

どうして、他人には優しくできるのに、両親には同じようにできないのだろう?

そういう、小さいけれど自分にとっては重要な謎を解き明かしていくこと。それって結構大切なことだ思うのです。