『綾屋沙月さんの世界』

当事者研究という分野の研究者であり、ASD者でもある綾屋沙月さんはこう書いています。

「二、三歳の時にはすでに、私には自分を取り囲む世界や人々とのつながらなさがあった。(中略)どんなにたくさんの情報を抱えていても、その存在や意味を誰かと共有されない情報は、ないことに等しい。気づいたことや感じていることを話しても「それは考えすぎだ」と受け流され、「あれは何が起きているの」「さっきのはどういう意味?」と訊ねても、「え、なんのことかわからない」「そんなことあったっけ?」と言われる。」

綾屋さんの脳は、一般的な人よりも繊細に情報を受け取ることができます。自分の外からやってくる情報もそうですけど、生活をしていて困るのはむしろ内部からやってくる情報なのかもしれない。彼女の本を読んでいてそう感じたのですね。

例えば、私たちはお腹がへったな、そろそろランチタイムだし、今日はうどんでも食べようかなと、何の痛痒も滞りもなく、すんなりとそう感じることができます。そして何を食べるかという選択もある程度は時間をかけずに決定することができる。だけど、彼女が内部感覚として感知する情報というのは、もっと細分化されているのです。

胃の辺りを指先で押されているような感じがする。なんだか体温が下がってきた気がする。少しだけど悲しい気分になってきた。そういう身体の状態のシグナルのようなものを取りまとめて「これは空腹だ」というサインだと認識するまでに時間がかかってしまうそうです。だから、ハッと気づくと朝から何も食べないまま夕方になってしまうとか、低血糖になってしまう。そういうことが起こる訳です。

これは困りますよね。

彼女とは違った脳の傾向を持っている私ですけど、結果として同じような状態に陥ったことが何度かありますから、気持ちがよくわかるのです。

私の場合は、おそらく「過集中」と呼ばれる状態に脳が陥ってしまう傾向が強いのですね。ですから大学時代に図書館で何も食べずに勉強をし続けて、低血糖で倒れる。そうなると救急車を呼ばれてしまいます。そういう騒ぎを起こしてしまったことが何度もあるのです。

綾屋さんも、そして私もですけど、空腹が分からないのであれば、空腹を感じるか感じないかを当てにしていられない。だから12時になったら状態がどうだったとしても何か食べる。そう決めるというのが対処法なのですけど、そう決めていても時計を見なかったりしますからね。

さらに綾屋さんの場合は、よしランチを食べるぞと決めてからも、なかなかに行動するのに困難が伴うようなのです。

機嫌の悪そうな上司をかわすようにして、そっとオフィスを出ていくとか、至るところから飛び込んでくるランチの看板(トンカツだとか、ソバだとか、カフェのランチメニューだとか)の情報が脳内で飽和するとか、そういうご苦労もあるようですけど、そもそも内部からの何を食べたいのかという情報が取りまとまらない。

レストランでメニューを決める際には、のどは「飲みやすいものを」、胃は「おなかがふくれるものを」、皮膚は「温かいものを」とバラバラに訴えてくる。そのため、注文を一つに決めることが難しい。

これは一般的な人であれば意識に上がってこないような情報を、あまりにも細かく受け取ってしまった結果、その情報が意識に上がってしまうということでしょうね。刺激が潜在化されずに感じられてしまうのだと思います。

ディズニー映画の『インサイド・ヘッド』のようなことが起こっていて、綾屋さんに、あなたは誰の味方なのよ、喉なの、胃なの、皮膚なのと迫ってきているような感じなのでしょうから、それはまぁなかなか、決まらないですよね。

さすがに私はそこまで鋭敏に内部感覚を感じることは少ないですけど、多かれ少なかれ(これは質の問題ではなく、感じ取る情報量の問題だと考えることが大切だと思います。一般的な人というのは、綾屋さんから見たら鈍感だということです)誰しも経験のあることだと思うのです。

特に脳の前頭前野が活性化している「内向型」と呼ばれているタイプの人には、ああ、似たようなことがあると頷いていただけるように思います。私も「内向型」ですからね。

「植物やモノと話しているときには、うきうきした気分がします。春の雨あがりの地面にしゃがむと、あたたかくて湿気を含んだ土の匂いが立ち上ります。顔を近づけると枯れ草の中に小さくて潤んだ青い葉っぱがたくさん顔を出しています。「こんにちは! こんにちは!」「いい天気だね!」小さくてかわいい声が聞こえます。「ほんとね、今日はあったかいね」 お母さんもそれに応えます。」

綾屋さんは我が子にそう語りかけるのですけど、この感じというのは私にも心当たりがあります。細部を味わうことができるからこそ感じ取れる世界があり、同時に細部を味わってしまうからこそ生きづらさを感じてしまう。

感受性を失うことなく、世界を自分の感覚で味わいながら、生きづらさを減らしていく方法をクライアントと共に探る。それがカウンセラーの仕事だと思います。