『物語を読み解く』

グリム兄弟版の『赤ずきん』なのですけど、どうも版を重ねるごとに、グリム兄弟が内容を付け加えていったそうなのですね。

ですから、最終的に狼のお腹の中から、赤ずきんちゃんとおばあさんが生きたまま救出されるというエンディングは、グリム兄弟の創作だそうです。民話として語り継がれていたバージョンは、赤ずきんちゃんは、食べられたまま終わりですから。

そのグリム兄弟版の『赤ずきん』を、心理学者が分析するとどうなるか?

ご存知ない方のためにお伝えしておくと、心理分析というのは、様々な方法があって、やり方によって似通った部分もあれば、まったく違う部分もある訳です。

派閥みたいなものだと、思っていただければいいですね。

まずは、フロイト派のベッテルハイムの解釈。

おばあさんの家に向かう途中で、狼の誘惑にのり道草をしてしまう。これは赤ずきんが現実原理(親の言いつけ)を捨てて、快楽原理(狼の誘惑)にのってしまうことを意味する。快楽原理とは、欲望と悪の渦巻く世界です。

さらに赤ずきんは、狼に祖母の家へ行く道筋を教えてしまう。それは赤ずきんが無意識のうちにおばあさんを殺してしまおうという願望の表れではないかと解釈するのですね。その時おばあちゃんと、赤ずきんの母は同一とみなされています。

エディプス・コンプレックスというやつですね。性的な目覚めの後、同性の親を憎悪して、異性の親を自分のものにしたいという願望のことです。

ですから、フロイト派の見立てでは『赤ずきん』は母親殺しの物語になる訳です。

最後に救出してくれる狩人が、父親の象徴だとされています。

次は、エーリヒ・フロムの解釈です。フロムは社会心理学者であり、新フロイト派というくくりに入ります。

赤ずきんの赤は、性の象徴である。具体的には女性の月経を象徴しているのではないかと解釈します。赤ずきんは、性の問題に直面する年齢になっていて、道草を食うなと言う母の警告は、明らかに性の危険に対する警告だと考えます。

だけど、赤ずきんは、狼の誘惑に負けてしまいます。ここで狼に象徴される男性は、残酷でずるい動物として描かれています。

騙された女性たちは、この狼に復讐しなくてはならないと考えたというのが、フロムの解釈のポイントになります。

ですから、フロムの考える『赤ずきん』は復讐の物語なのですね。

狼の腹に入れられた石は、不妊のシンボルになります。

この不妊のシンボルによって狼は死ぬことになるのですけど、腹に詰められた石は、子供を産む能力を持たない男の限界を象徴しているというわけですね。

最後に、深層心理学者ユングの立場です。

ユングは、『赤ずきん』を、将来の自立のための、少女のこころの物語として解釈するのです。

狼を、こころの内に潜む母性の象徴としてとらえた点が、ユングのユングらしいところですね。

赤ずきんは祖母が住んでいる森(無意識の世界)に入っていく。祖母は無意識の深層に存在する太母(グレートマザー)を示しています。

太母(グレートマザー)というのは、元型の一つです。

ユングは、夢や神話、物語を調べるうちに、神話のモチーフや物語の構造、人間関係のパターンには時代や民族を超えた一定の型があることに気づきました。誰でも同じ型をこころの奥に持っている。それが元型ですね。

自立が問題になるとき、しばしば立ち現れてくるのが、この太母(グレートマザー)ですね。この太母(グレートマザー)は子供を優しく包みこむだけでなく、時として可愛さのあまり、呑み込んでしまいます。西洋の神話では魔女となって出現してきます。

自分のこころの内にある太母(グレートマザー)という一面。優しくて暖かく包み込んでくれる肯定的な面がある反面、否定的な面も持ち合わせている。すべてのものを包み込み、抱きしめるという力が強いと、逆に子供の自立を妨げ、子供を死に至らしめてしまうのですけど、その否定的な面を現したのが狼なのです。

少女の自立のためには、まず母の掟を破ることが必要です。つまり道草を食うという悪を、自らのなかに持たなければならない。

自立を果たすために、赤ずきんは一度死ぬ必要があったのですね。そして狩人に助けられて再生する。狩人が現しているのは、男性原理です。

ですから、ユング派の考える『赤ずきん』は少女の自立の物語ということになります。

どの物語をとるか、つまり受け入れるかということですけど…それはクライアントに委ねられています。

カウンセラーの仕事は、解釈を押し付けることではなく、クライアントと一緒に、こころの中を旅すること。

あなただったら、どの解釈をとりますか?