『春よ、来い』

  

サロンに出勤している途中の道に、もう桜が咲いていたのです。ずいぶん早いなぁと思いながら見上げていたら、小さな丸っこい鳥が花びらをつついていました。

鳥は2匹いて、淡いグリーンがきれいだったのですけど、あの鳥は何という種類なのだろう?

こういう時にインターネットというのは便利ですね。メジロという鳥だとすぐに分かりましたから。

アメリカでは見かけたことがなかったですけど、それもそのはずで、アメリカ大陸にはいないそうです。日本から持ち込まれたメジロがハワイにはいるそうですけどね。花の蜜が好物だそうで、花びらをつついていたのは蜜を食べていたのだと分かったのですけど…春ですよねぇ。

春というのは、精神科医としては忙しい季節にあたるのですけど、冬に交感神経優位だったものが春になって副交感神経優位になってくるのが理由なのですね。つまり、身体も心もゆるむということですから(デトックスの時期ということです)ちょっと精神的に不安定になるとか、心のバランスを壊してしまう方が増えるのです。身体の痛みも強く感じるようになりますしね。

とはいえ、季節としての春は大好きです。日差しの勢いが増してきて、外の景色がなんだかくっきりと見えてくるようになる。新玉ねぎとか、新じゃがいもとか、美味しい食べ物が出回る。黒とかグレーばかりだったファッションに色が戻ってくる。それはまぁ心が沸き立ってくるのです。

松任谷由実の『春よ、来い』は、ニューヨークに住んでいる時に友人からもらったCDに入っていたように思うのですけど、最初に聞いた時、ああ、こういう感じが日本の春なのかと、やけにじんわりと共感できたのですね。やっぱり私には日本の血が流れているなぁと思ったのです。

淡き光立つ 俄雨
いとし面影の沈丁花
溢るる涙の蕾から
ひとつ ひとつ香り始める

それは それは 空を越えて
やがて やがて 迎えに来る

春よ 遠き春よ
瞼閉じればそこに
愛をくれし君の
なつかしき声がする

なつかしい、そして今は会うこともないであろう誰かのことを思い出す。彼女は今でもその誰かに気持ちを寄せている。そういう歌なのですけど、全体に漂っているムードというのは物悲しい。同じ春でも、アメリカだったらエルビス・プレスリーの『Spring Fever』みたいに、春を徹底的に肯定している感じになるような…。

最近知ったのですけど、この『春よ、来い』はNHKの朝のテレビ小説の主題歌だったそうです。脚本家の橋田壽賀子さんの自伝で、安田成美さんが降板して、主役を交代したことで有名だとか。

1925年生まれの橋田さんの人生なのですから、太平洋戦争というのが大きな事件としてあった訳です。『春よ、来い』の歌詞に漂っている空気感は戦時のものかもしれないし、失われてしまった「愛をくれし君」というのは、もしかしたら戦死された方なのかもしれない。

最近この歌を聞くたびにそう思うのです。

春というのは、新しいことがスタートする季節であると同時に、別れの季節でもあります。いわば2つの感情が重なって感じられる季節でもある。

悲しみというネガティブな感情にさえ美を見出そうとする。美の中に「あはれ」を見出す。そんな日本人に相応しい季節なのかもしれませんね。