『奇跡の脳』

ハーバード大学の脳研究者だったジル・ボルト・テイラーさん本人が、脳卒中を起こしてしまいます。どうも遺伝的な脳血管の疾患があったそうなのですけど、開頭手術後に長いリハビリをしながら脳機能を取り戻していく過程が『奇跡の脳』という本にまとめられています。

彼女は脳研究者ですから、いわば外側から患者さんの脳を研究してきた。ところが内側から脳の変化を経験して、主観的に研究するという機会を得たわけです。

最初から最後まで本当に興味深く読んだのですけど、左脳に大出血をして、徐々に左脳の機能が失われていく状態から感じ取った世界の見え方というのは、実際に経験してみることはできないことです。ご病気をされた彼女には申し訳ないですけど、ワクワクして読ませていただきました。

一部を引用しますね。

『二つの大脳半球のあいだの思考、情報処理、言葉、行動面での速さの差は、異なる種類の感覚情報を処理するときのそれぞれの能力の差なのでしょう。右脳は、長い波長の光を知覚します。ですから右脳マインドの視覚的な知覚はやや溶けて柔らかい感じになります。知覚が鈍いことで、右脳マインドは事物がどんなふうに関係しているかという、より大きな絵(心の像)に集中できるのです。同様に、右脳マインドは低周波の音に同調しますが、それはわたしたちのからだ(お腹がグーと鳴ったり)や自然の中で普通に発生するものです。そのために右脳マインドは、生理機能にすぐに耳を傾けるよう、生物学的に設計されているのです。

 対照的に、左脳は短い波長の光を知覚して、明瞭に線を引いてはっきりした境界をつくる能力を高めます。その結果として、左脳マインドは生物学的に、隣り合った物体のあいだを分かつ線を認識する能力が高いのです。同時に、左脳の言語中枢は高い音に耳を傾けますが、通常は話し言葉が高い音であることが多いため、言葉を検出し、識別し、解釈することができるのです。

左脳の最も顕著な特徴は、物語を作り上げる能力にあります。左脳マインドの言語中枢の物語作りの部分は、最小限の情報量に基づいて、外の世界を理解するように設計されています。それはどんな小さな点も利用して、それらをひとつの物語に織り上げるように機能するのです。』

彼女は左脳が機能していない状態の時、自分の肉体と精神が宇宙と溶け合ってしまっているように感じていたそうです。つまり、どこからどこまでが「私」なのかがはっきりと区分できない状態ですね。

そういう状態であれば不安感に襲われるように思う方もいるでしょうけど、彼女が感じていたのは反対にどこまでも穏やかな気持ちだったそうです。それが脳手術をして左脳の機能が回復してくると、以前のような宇宙の中に存在している確固たる「私」が戻ってくるのです。

瞑想などの技術を使って、ある種の宗教が到達しようとしている境地にいきなり達してしまった。そういう言い方もできるでしょうね。

「私」がある、存在するという意識を持つことと言語は深い関係がある。あるいは、われわれが「私」と信じているものは、言語野にある。そういう言説は精神医学でも脳科学の分野でもよく言われていますけど、その傍証が彼女の経験と言えると思います。

当事者研究という分野の研究者であり、ASD者でもある綾屋沙月さんはこう書いています。

「二、三歳の時にはすでに、私には自分を取り囲む世界や人々とのつながらなさがあった。(中略)どんなにたくさんの情報を抱えていても、その存在や意味を誰かと共有されない情報は、ないことに等しい。気づいたことや感じていることを話しても「それは考えすぎだ」と受け流され、「あれは何が起きているの」「さっきのはどういう意味?」と訊ねても、「え、なんのことかわからない」「そんなことあったっけ?」と言われる。」

彼女は細かな大量の情報を一度に受け取ってしまう。そしてその情報を一つにまとめ上げることに時間がかかるという脳の特徴を持っているそうなのですけど、ジル・ボルト・テイラーさんが経験したことから類推すると、左脳の働きに対して、右脳の取りまとめる機能が遅延してしまう、あるいは右脳機能を意識的に行わなければいけないのかもしれないですね。

「その存在や意味を誰かと共有されない情報は、ないことに等しい。」のであれば「私」が存在していることを確信するためには「私」という情報があることと、その意味を誰かと共有しなければいけない。だからきっと人間は言葉を使うようになっただと考えられます。

「無意識は言語のように構造化されている」というラカンの言葉は、この点においては的を射ているのでしょう。