『夢を見るかもしれない⑦』

記憶というシステムは面白いものなのですけど、①その内容が事実に反していないもの。②その記憶が自分らしいと思えるもの。この2つの条件をクリアしたものが、就寝中に長期記憶として保存されるのです。

ですから、いくら事実に反していなくても、これは自分らしくないなぁという行動の記憶はなかなか保存されない。プロの役者さんでも、これはちょっと自分らしくないし、自分ならこんなこと言わないよというセリフは覚えにくい。そういうことです。

ところが、自分らしくないと思うような内容でも、無意識の中にはしまいこまれている訳です。それが就寝中に戻ってくる。だから、夢の内容に驚くことが多いのです。夢の内容は往々にして変形されていたり、歪曲されていたりしますから、そのまま受け取ることは難しい。そこで心理分析家の出番となるのですけど、このやり方は20世紀の発明という訳ではないのです。

古代ギリシアでは病気にかかると、医神アスクレーピオスの神殿に詣でることが行われていました。ギリシア全土で300から400のアスクレーピオス神殿があったそうですよ。

神殿の聖域に入ると、そこに逗留して夢を見る時を待つことになります。夢を見ることを害するようなワインや、肉、ある種の魚、ソラマメを食べることは禁じられ(アルコールはREM睡眠の形成を阻害しますから、飲まない方がいい夢を見ることができることは現代医学で証明されています。)時には断食を行なって、アスクレーピオスが夢に訪れるのを待つのです。

神像のような姿であったり、少年や動物の姿をとってアスクレーピオスが夢に現れると、触れることで病を癒してくれることもあれば、治療の方法を教えてくれることもあったそうです。

こういう夢との特殊な関わり方のことを古代ギリシアでは「夢孵化(ゆめふか)」と呼んでいたそうです。

ヒポクラテスも夢の意味について、多くのことを書き残していますし、夢のメッセージを病気治癒に使う文化はアラブ圏にも中国圏にもあったそうです。

どんな人種でも夢を見ない民族はいませんからね。きっと、夢とのつきあいは人類がはじまった時から続いているのだと思います。