『信じるということ』

仕事柄、どうしても本をたくさん読むのですけど、カウンセリングが言葉を使って(もちろん言葉以外も使うのですけど、やはり主となるのは言葉ですから)するものである以上、言葉には精通しておく必要がある。これが理由の1つ目ですね。言葉が、口から発せられて消えていく、あるいは文字に書かれていて、読み飛ばしていくものであると感じるのではなく、リアルに(手触りや質感のようなものを)感じられるようになること。こういう作業って、意外に大事なことなのです。

2つ目の理由は、人間の「こころ」の構造の不可思議さや、ある種のセンス・オブ・ワンダーに触れたいという気持ちがあるからです。

え~っ!こんな風に考える人がいるのとか、こんな解釈をする人がいるのということに驚き、時には美しさを感じる。それが読書の醍醐味の1つだと思いますしね。

長崎新聞社が発行元の『カクレキリシタン オラショ-魂の通奏低音』という本を、随分前に読んだのですけど、ネットで長崎新聞の記事を見つけて、そのことを思い出したのです。日本に来て間もない頃に読んだ本でしたから、日本人というのはこういう人たちなんだと感動したことも思い出しました。

「長崎市樫山町の「かくれキリシタン」が「ヨカヒト様」と呼び秘蔵していた「華南三彩壺(かなんさんさいつぼ)」が先日、市役所で初公開された。底面に記された「Escencia」(エッセンシア)という文字が、はっきり見えた。

このつぼ、約400年前にベトナムから船で運ばれ、長崎のカトリック教会で使われていたらしいから驚きだ。県と東京大史料編纂(へんさん)所の岡美穂子准教授の調査で判明した事実から、つぼの由来を想像すると-エッセンシアとは香油を意味する古いスペイン・ポルトガル語。つまり、つぼは元々、ミサなどで用いる「聖香油」の器として使われていた。

聖香油を作れるのは司教だけだ。当時の日本司教セルケイラは着任翌年の1599年、天草で国内初の「聖香油ミサ」を行い、つぼを用いた。その後、つぼは布教の中心地長崎で使われた。1614年に江戸幕府がキリスト教信仰を禁じた後、つぼは潜伏キリシタン信仰の中心地だった樫山へ運ばれて隠された。そして「ヨカヒト(良か人)」が使った聖なる器として現代まで守り伝えられた-というわけだ。かくれ信者の家では主人がつぼを隠し持ち家族にも見せなかったという。」

『カクレキリシタン オラショ-魂の通奏低音』を読んで驚いたことは、キリスト教が禁止されていた江戸時代にカクレキリシタンとなった方たちで、明治以降カソリック信仰に戻らない(戻れないかもしれませんが…?)選択をした方が多かったということでした。

禁止されている間は、もちろん国外のキリスト教関係者(司教や神父といった方たち)と関わることはできなかった訳です。その間に、根っこの部分はもちろんキリスト教なのですけど、その信仰は変容し、日本独自の信仰に変わっていったのですね。だから、すでにカソリックとは別物の宗教になっている以上、オリジナルに戻ることができなかった。それが理由です。

例えば、カクレキリシタンの信者の方が亡くなる。キリスト教信者であることは知られてはいけませんから、どこかのお寺の檀家になっている訳です。ですから、仏教式の葬儀が行われる。それで亡くなった仲間のためにカクレキリシタンは、仏教のお経の効果を打ち消す呪文をこっそり唱えます。それから、また別の仲間はカクレキリシタン式の葬儀の文言を唱える。仏教式の葬儀が行われているすぐそばで、そういうことがされていたそうなのですね。

カソリックと違う宗教に変容しているという意味が分かってもらえると思います。

『カクレキリシタン オラショ-魂の通奏低音』を書かれた宮崎賢太郎さんは書いています。

「カクレキリシタン」とは切支丹の教えを守る人々ではなく、すでに本来の意味がわからなくなっていても、祖先から伝えられたものを継承していく祖先崇拝教徒のことです」

祖先が信じていたことを、信じ続けること。それがきっと日本人というものを作っていったように思うのですけどね。ただ、信じるということは時として「こころ」に制限を加えるということでもある訳です。

知らぬ間に信じてしまった何かから、「こころ」を解放する手立てを探ること。それがカウンセリングなのですから、読書って精神科医にはすごく大事なのです。