『一人で在るということ』

カウンセリングの現場で、クライアントからよく聞く言葉の一つに「寂しい」があります。

LINEやSNSで頻繁に誰かとやり取りをしているのにも関わらず、いつも「寂しい」。「寂しい」から「寂しさ」を埋め合わせるために人と関わるのだけど、ぐったりと疲れてしまう。そういう話というのは、特に若い世代のクライアントにはお馴染みの言葉になっているように思います。

それはまぁ、ずっと一人だったら人恋しくなるものでしょうけど、いくら何でも10分LINEにレスがないから既読スルーされたと言い出すのは、明らかにメンタルに問題があるように思うのですね。

哲学者のハンナ・アーレントは、人間が一人で在る状態について「孤絶(isolation)」と「孤立(loneliness)」と「孤独(solitude)」との3種類があると述べています。

①「孤絶」というのは、何かの作業に気を取られてしまっていて、他の人とのみならず自分自身ともつながっていない状態のことです。仕事が忙しくて、誰の言葉も耳に入らない。そういう状態ですね。

②「孤立」とは「ひとりぼっち」といったイメージですね。若い世代が言う「ぼっち」という状態です。そして、その状況を苦にしすぎていて、自分自身ともうまくつながれない状態に陥っている。既読スルーだと不安になるタイプの抱えている「寂しさ」というのは「孤立」から生じます。

①「孤絶」と②「孤立」に対してアーレントは③「孤独」については、ネガティブな状態とは捉えていないのですね。むしろ高く評価していると言ってもいいくらいなのです。

③「孤独」とは「一人のうちで二人」になっている状態である。アーレントはそう言うのですね。

そのハンナ・アーレントが18歳の時に学生と教師という立場で出会い、不倫関係もあったマルティン・ハイデガーは「退屈」について3つの形式があると書いています。

①退屈の第一形式…電車が来る時刻まで、かなりの時間がある。そういう時に感じる「退屈」。こういう「退屈」をやり過ごすために、人間は熱心に働くとか、何か「退屈」を感じないで済む方法を探すとも言っています。

②退屈の第二形式…パーティーに参加して、それなりに楽しい時間を過ごすのだけど、帰宅して我にかえると、自分は「退屈」していた。つまらなかったと感じるような「退屈」。ちょっと貴族的な「退屈」と言えるかもしれないですね。

③退屈の第三形式…ふっと、何の前触れもなく心に湧いてくる「ああ、退屈だ」という感慨という「退屈」。

私はこの二人の哲学者の考えというのは、同じことを言っているように感じるのです。あるいは対応しているように感じると言ったらいいのかな…?

第一形式の「退屈」を感じたくないから行動する。それによって①「孤絶」してしまう。

第二形式の「退屈」を感じたくないから行動する。それによって②「孤立」してしまう。

アーレントが高く評価した「孤独」とはきっと、第三形式の「退屈」を感じた時の行動として最良のもの。それが「一人のうちで二人」になっている状態なのでしょう。

自分と向き合うこと。例えば真剣に何かを考えること、勉強すること、感じることなどですね。

自分という存在を場所として、何かが起こり自分だけで完結すること。他の人を求めないこと。そういう楽しみがこの世界にはあるのです。それをアーレントは「孤独」と呼んだのでしょう。

既読スルーされたと嘆くよりは、本でも読んだ方がいい。そういうことですね。