『ジュンパ・ラヒリのテクスト⑥』

結局のところ、完全にフラットな状態で本を読むことも、映画を見ることもできない。

つくづくそう思うのですね。飼っていた犬を亡くした直後に『僕のワンダフル・ライフ』とか『HACHI 約束の犬』とか『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』もそうかもしれないですけど、ラッセ・ハルストレム監督の映画なんて見た日には…。

だからまぁ、どんな名作でも、自分の状況によっては愚作ということもないでしょうけど、ピンとこないということもあり得る訳です。

そういう意味でもジュンパ・ラヒリの作品というのは、私にグッとくる要素がありすぎて、ああ、何だか他人事じゃないなぁといつも感じてしまうのです。

『わたしのいるところ』の裏表紙にイル・リブライオ誌の書評が載っているのですけど「落胆と充足、根を下ろすこととよそ者であること。ラヒリのテーマはこの作品で頂点に達した。」と書かれていて、頂点に達したかどうかは知りませんが、確かに「根を下ろすこととよそ者であること」というのは、彼女にとって大きなテーマだと思います。それも文学上のテーマというよりも、彼女の生そのもののテーマかもしれない。

インド系の移民としてロンドンで生まれ、2歳でアメリカに渡ったベンガル語と英語を母語としている女性。ローマに滞在し、学んだイタリア語で小説を書き(それ以前は英語でした)イタリア語から英語への翻訳も手掛けている彼女は、22年からコロンビア大学所属だそうなので、ニューヨークに戻ってきているようです。

彼女は自身のことをアメリカ人であると考えているようですけど、インド・ベンガルの文化の中で育ったようなのですね。『選択の科学』のシーナ・アイエンガー教授もインド系アメリカ人として、2つの文化の中で育つことの苦労というか、戸惑いのようなものを綴っていましたけど、ラヒリがテーマとしている「根を下ろすこととよそ者であること」とは出自からして宿命づけられているのです。

私もそうなのですよね。ニューヨーク郊外で育ちましたけど、いわゆるアメリカ文化の中で成長したにも関わらず、家の中では日本語で話し、日本で育った同世代の日本人以上に古い日本文化を叩き込まれていましたから。

そのラヒリがトランステヴェレなんて、ローマの下町で生まれ育ったイタリア女性の物語を、それもイタリア語で書いているのですから…面白くない訳がないのです。