『ジュンパ・ラヒリのテクスト④』

とりたてて何も起こらない。

ジュンパ・ラヒリの作品って、まぁそんな感じなのですね。もちろん小説である以上、何かは起きます。だけど、他の作家の作品に比べると大したことは起こらない。

不意に停電になった夜に夫婦が話をする。その結果…離婚することになる。

恋愛とは呼べないけれど、淡い感情を持った男性の犬を散歩させる役目を引き受けることになる。ちょっと生活が変わる。

古い家具の引き出しに詩の原稿を見つける。編集して出版する。

まぁ、そんな感じなのですね。宇宙人と戦うこともないし、殺人事件も起こらない。大きな感情のうねりを表現することは徹底して抑えられ、描写の何かが感情を表象する。

古いフランスの小説を読んでいるような気分になることもあるのですけど、描写を読ませるっていうタイプとも違うように感じる。う~ん。

おそらく間違いがないと思うのは、ラヒリの本質というのは短編作家だということでしょうね。長編小説も書いているのですけど、それは一つのテーマにそって書かれた短編を編んだものだと感じるのです。

それでは、そういうラヒリのテクスト読むことが、精神科医の仕事の何の役に立つかと言えば…前回書いたように言葉を扱うレッスンであることでしょうし、もう一つは、きっと人間を観察する視線を磨くことだと思うのです。

ラヒリ本人の写真を見ると(それは著者近影であるとか、英語の文芸誌のインタビュー記事だったりするのですけど。)かなり美しい女性であることが分かります。本当に女優さんとかモデルさんと言われても納得するくらい整った顔つきをされている。

だけど、彼女の顔を長く見ていると、ちょっと怖くなってくる。あまりにも強い目の光に、こちらを射抜かれているように感じてくるのですね。まぁ、物理的に目の大きさもかなり大きいと思いますけど。きっと、彼女の前に立ったら、ほとんどの人は嘘がつけないだろうな。そういう目をしているのです。

あの目でラヒリは世界を捉えている。そして、彼女の持つ言葉で(それがベンガル語であっても、英語であっても、イタリア語だとしても…。)その世界を分節化しているのでしょう。その眼差しは誰にも真似できないしょうけど、そこから何かを学ぶことはできるはずですから。