『どうしてそんなに寂しいのか?②』

精神科医の斎藤学さんによると、依存症には以下のようなメカニズムがあるそうです。

「絶対的な価値を与えてくれる宗教の力が弱まった近代の市民たちは、老若男女を問わず自らの価値に懐疑的になっていて、他者の承認や拍手ばかり求めており、拍手をもらうためなら、かなり危険で無理なことまでやってのける。宗教に頼らず、コミットすべき価値を自ら選び取らなくてはならないという近代の規範は、すべての人間にとって荷が重いものであり、神の代わりに他者からの評価に縛られ、他者に評価されるよう強い意志で自分に鞭を打ち続けるという個を生み出した。

他者の評価ばかり気にしていると、自らの中に自己を承認し、愛する部分が育たず、その帰結として、思いどおりに動かない自己に対して「意志の力」という鞭を当て続ける。その痛みが「耐えがたい寂しさ」として感じられ、さらに寂しさは感覚鈍麻という心的防衛を経て、退屈感へと移行する。寂しくて退屈な人は、愛されたい対象の安全な代替物として、自分を拒絶しないであろう食物やアルコールなどの嗜癖対象を選ぶようになる。そうした状態こそが依存症である。」

これは依存症について書かれた文章なのですけど、耐えがたい寂しさを感じるから、アプリで出会いを求めるとか、たいして行きたくもないパーティーに参加するとかして、寂しさを感じないようにしているのですから、まぁ「恋愛依存症」と言ってもいいでしょうし(本当の意味での恋愛をしている訳ではないでしょうけどね。)特別な誰かではなく、自分をかまってくれる相手を求めているのですから「他者依存症」とも言える訳です。

斎藤先生の書かれていることを読み解いてみますね。