『地下に降りていく③』

地下に降りるというモチーフで真っ先に思い出す小説は、『不思議の国のアリス』ですけど、ジュール・ヴェルヌの『地底探検』も有名ですし、漱石にも『坑夫』というルポルタージュのような作品があります。

川上未映子が村上春樹にインタビューした『みみずくは黄昏に飛びたつ』で、村上春樹は作品が生まれる場所を「地下2階」と言っているのですけど、これはおそらくユングの言うところの個人的な無意識のさらに深いところにある、集合的無意識のことを指しているのだと思います。つまり、個人のプライベートな空間ではなく、現実の世界ではないかもしれないけれど、全ての人間の奥底にある他界のことですね。

これを書いていて、気づいたことがあるのですけど、『墓泥棒と失われた女神』を見た後に残る手触りというのは、村上春樹作品を読んだ後の感触と近しいかもしれない。『騎士団長殺し』とか『ねじまき鳥クロニクル』を読んだ後の感じと似ているなぁと感じたのです。

文芸評論家の渡部直己と斎藤美奈子の対談にも、そのことが触れられています。

斎藤 文学業界じゃない人の話を聞いててなるほどと思ったのが、村上春樹は実用的だと言うんです。恋人とかの大事な人が亡くなって傷ついた青年が主人公でしょう。なので、同じような体験をした人には、ヒーリング効果がある。世界中に家族や恋人や友人の死を体験した人はたくさんいる。そういう人たちに村上春樹はすっと入っていくんだと。

渡部 それはまあ、そうだと思いますよ。基本的にあれはユング・河合隼雄のライン。「箱庭」ならぬ「文学療法」ですね。

斎藤 そうか、ユングか。さすが渡部さんだなあ。そう言われちゃうと、たしかにその通りですね。だから河合隼雄さんとあんなに話が合うんだ。

渡部 ええ。イメージ中心の世界だから、翻訳=流通可能なんです。他の国の言葉でもたとえば「井戸」のイメージなら簡単に共有できる。だから世界的になる。空からふってくる魚だの、人間の皮剝だの、リトル・ピープルだの、港町のカフェだのバドワイザーとピクルスだの(笑)。

『墓泥棒と失われた女神』は、「映画療法」つまりヒーリング効果のある映画なのかもしれないですね。