『「世間」と「社会」の間に①』

定期的に大掃除をするのですけど、古いポートレイトを整理していて、今とずいぶん顔の感じが違うなぁとしみじみ考えてしまいました。

それはまぁもちろん年齢もあるでしょうけど、そういうことではなく、私の感覚としてはどうも日本人的な顔つきになってきているように思ったのですね。古い写真を見てみると、アメリカ白人ぽさが強いし、何となく今よりも緊張している面持ちが感じられるのですよね。

今でもあまり夜間に外出することを好まないのですけど、近所のコンビニに切らしてしまった何かを買いに出ることくらいは時々ある訳です。部屋着に何かをさっと羽織って気軽に出かけていくのですけど、ニューヨークで暮らしている時だったら考えられなかったなといつも思います。仕事が遅くなったら、タクシーを呼んでもらって帰宅する。そもそも徒歩という選択肢を思いつきもしませんでしたから。

要するにセキュリティーの問題なのですけど、治安の良さが顔に出るのかもしれない…?

お恥ずかしい話なのですけど、先日PASMOにチャージをして、そのまま財布を置き忘れてしまったのですよね。代官山で改札を出ようとして財布がないことに気づいて、慌てて電話で問い合わせをしたのですけど、財布はちゃんと駅に保管されていました。親切な方が届けてくれたそうです。

まぁ、こういう見た目ですから遺失物係の職員の方は英語で話さなければいけないと考えたようですけど、本当に日本で良かったですね、これがもしも海外だったらまず間違いなく財布は出てこないと思いますと話されていました。確かにそうです。ニューヨークなら100パーセント財布は出てこないでしょうし、クレジットカードを不正利用されているでしょうね。

なぜ日本人は親切なのか?

そのことを考えてみたいと思います。