問いが、問うという行為なのだったら、どのようなタイプの行為なのでしょうか?
ラニさんの出した結論は「問いとは、情報探索の行為である」ということです。
Googleの検索窓に「地元 エジンバラ 肉屋」と打ち込むことは、情報探索の行為です。知らない単語を辞書で調べるのも情報探索の行為ですね。知らない横断歩道を渡る時に左右を見る。これも近づいてくる車がいないかどうかを情報探索しているのです。
哲学って面白いなぁと、これを読んでいて思ったのですけど、まさか「問い」が情報探索の行為であるなんて結論に達するなんて。正しい順序で問いを積み重ねていくと、そういう世界が見えてくるのですね。
人間は1日に30000~40000回も自分自身に問いかけているそうです。つまり、生きるということは「問う」ことに費やされているといっても良さそうです。
それであれば、何を問うのかが、その人を形づくる。そういうことになるでしょうね。
私の仕事について言えば、精神疾患が回復していく過程で、クライアントの自分自身に対する問いかけが変化していくのを幾度となく目撃してきました。
よく言われているように、良い答えを引き出したければ、良い問いをすることが重要なのです。
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